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法華経 上―梵漢和対照・現代語訳
 
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法華経 上―梵漢和対照・現代語訳 (単行本)

植木 雅俊 (翻訳)
5つ星のうち 4.7  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

際立った平等思想を説いていた釈尊(前463~383年)が入滅すると、教団は隠遁的な僧院仏教となって民衆から遊離し、在家や女性を差別するなど次第に保守的で権威主義的傾向を強めていった。紀元前後に興った大乗仏教は、それらの伝統的・保守的仏教を"小乗"(二乗)と貶称し、自らを"大乗"(菩薩乗)と称して、だれでもが成仏できるとする運動を展開した。この小乗と大乗の対立と限界を止揚することで登場したのが『法華経』の「一仏乗の思想」であり、「法華七譬」といわれる見事な譬喩などを通して人間への尽きせぬ信頼と平等を謳歌した。
19世紀に発見された『法華経』サンスクリット原典写本のヨーロッパでの初の出版(ケルン・南条本)から100年。本書は、複数のサンスクリット・テキストに綿密な校訂を施し、原典テキストを確定させるとともに、深い仏教理解に基づいて詳細な註解を付した画期的達成である。8年がかりの、一点一画をも疎かにしない原典に忠実な訳業により、曖昧さを残さない、読みやすいこなれた現代語訳がここに完成した。テキスト相互の対照を可能とすべく、サンスクリット原典、鳩摩羅什による漢訳テキストも併記した。


内容(「BOOK」データベースより)

19世紀に発見された『法華経』サンスクリット原典写本のヨーロッパでの初の出版(ケルン・南条本)から100年。本書は、複数のサンスクリット・テキストに綿密な校訂を施し原典テキストを確定させるとともに、深い仏教理解に基づいて詳細な注解を付した画期的達成である。8年がかりの、一点一画をも疎かにしない原典に忠実な訳業により、曖昧さを残さない、読みやすいこなれた現代語訳がここに完成した。テキスト相互の対照を可能とすべく、サンスクリット原典、鳩摩羅什による漢訳テキストも併記した。

登録情報

  • 単行本: 628ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2008/3/11)
  • ISBN-10: 400024762X
  • ISBN-13: 978-4000247627
  • 発売日: 2008/3/11
  • 商品の寸法: 21.4 x 15.8 x 4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.7  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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5つ星のうち 5.0 画期的現代語訳!!, 2008/12/29
 第62回(2008年)毎日出版文化賞を受賞した名著である。著者は、同じ岩波書店から出版されたお茶の水女子大学提出の博士論文『仏教のなかの男女観』の著者でもある植木雅俊氏だ。

 わが国には、サンスクリット語(梵語)の法華経を現代語訳した本は他にも存在するが、この本により、これまでの訳が如何に不完全であったか(文法上・語彙上・思想上の誤り、深読み、省略など)が、これでもか、これでもかというほどに明瞭となる。しかも、サンスクリット原文、漢文(書き下し)、現代語訳が左右見開きで並べられ、著者の訳し方が正しいかどうかを、その気になれば誰でも検証できるように配慮されている。その上、全1300ページの3分の1にも及ぶ注釈でなされる緻密な分析・解説は圧倒的な説得力を持つ(それはロゼッタストーンを読み解くような面白さといえる)。まさに毎日出版文化賞の受賞にふさわしい労作である。

 徹底的に正確に訳すことによって、従来の訳に見られた法華経思想への誤解を改めるということが本書の重要な目的であるようなので、ここに一例を紹介しておこう。例えば、方便品に「四仏知見」とよばれる箇所がある。これは、仏がこの世に出現した目的について、「衆生たちに(1)如来(仏)の知見を開示し(2)如来の知見に入らせ(3)如来の知見を悟らせ(4)如来の知見の道に入らせる(開示悟入)」ことであることを仏自らが述べる箇所である。ところが、梵文法華経の口語訳として著名な岩本裕訳では前記(1)から(4)が「(1)’如来の智慧の発揮を人々に示すため(2)’如来の智慧の発揮を人々に理解させ(3)’ 如来の智慧の発揮を分からせるため(4)’ 如来の智慧を発揮するに至るまでの道程を人々に理解させるため」とされている。ここで問題となるのがtathagata-jnana-darsanaという複合語を如来(tathagata)の智慧(jnana)の発揮と訳していることである。darsana(見ること、内観、哲学)を「発揮」と訳すのは無理であることなど、この訳の語彙上の問題点は同書に詳しく述べられているが、その不正確な訳により「如来の智慧の発揮」が、あくまで如来の側のこととされてしまい、そこにおいて衆生は、如来によって示される「如来の智慧の発揮」をただ理解し、分かることだけが求められることとなる。しかし、このような訳では、衆生に本来備わっている仏性を衆生(二乗を含め)に目覚めさせるという一仏乗の思想(法華経の根幹思想)が蔑ろにされてしまう。そうなってしまっては、長者窮子の譬喩(信解品)も衣裏珠の譬喩(五百弟子授記品)も不軽菩薩の振る舞い(不軽品)も何ら意味をなさなくなるのである。植木氏は、その語彙上の誤りを正し、真に原文に忠実な訳をされた。これにより、法華経思想の理解に一本筋が通ったと言える。徹底的に正確な訳というのは、このように大変重要なことである。

 これは、ほんの一例にすぎず、植木氏はこうした誤訳を随所で指摘し、明確な根拠を示して正している。中国に始まって日本にまで持ち越されたいわゆる「三車家」と「四車家」との間に展開された千五百年来の論争に決着をつけたり、法華経の重要な菩薩の名前が「常に軽んじない菩薩」、あるいは「常に軽んじられる菩薩」と全く相容れない訳し方がなされてきたが、その矛盾を見事に解決したり、法華経の題名の正しい和訳を行ったり──と、正確無比な訳により、これまで種々問題となっていた事柄に解決の光を当てたことは仏教史上に輝く偉業と言って良いであろう。また、その美しくやさしい現代語訳は、誰でも親しみやすくわかりやすい。著者は言う。「シェークスピアより面白い」と。出版元である岩波書店が「正確で読みやすい現代語訳で蘇る、平等と人間への尽きせぬ信頼の経典」と謳う本書が多くの方の座右の書となることを願うものである。
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23 人中、23人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 我々は大変な恩恵を受けることになった, 2009/8/1
 植木訳『法華経』を朝勤の後の日課として読み続け、3回目の読了が間近になった。1回目は、現代語訳のみを通読し、こなれた訳文であったため滞ることなく読み終えることができた。これまでの岩波文庫の訳などで、首を傾げながら読んだ箇所が、何の抵抗もなく読めるのが嬉しかった。2回目は、対照して掲げられている鳩摩羅什訳と比較しながら読んだ。簡略を好む漢訳では読み取れなかった微妙なニュアンスが、植木訳から読み取れて有り難かった。それとともに、鳩摩羅什の訳の見事さも改めて再確認できた。3回目は、現代語訳と膨大な注釈を往復しつつ、昔習った梵語の文法書を引っ張り出して梵文もながめながら読んでいる。一つの注釈が2頁にも及ぶものまであり、その充実ぶりは圧倒的に他を凌駕している。
 わが尊敬する小野文b上人が、毎月定例の「法華経講讃」において、「この本が出版されたことによりその前後では、法華経に対する解釈が変わってしまうところがあるのではないか。そして我々は大変な恩恵を受けることになった」「植木氏は梵・漢・和語に及ぶ緻密な研究により、法華経に新たなメスをいれ羅什訳を再評価した」「『梵漢和対照現代語訳法華経』は今までの研究の成果を網羅しているので、現在の法華経学では最高水準のものといえる」(ブログ「小野文b上人の法華経講讃」より)──などと、評価しておられるのも、3回通読してみて、いずれも納得できることである。本書は、極めて優れた一般啓蒙書であるだけでなく、懇切丁寧な学術書である。
 本書のサンスクリットの底本は、H・ケルンと南条文雄によって校訂されたいわゆるケルン・南条本であるが、その出版開始から数えて、本書が刊行された2008年は、ちょうど100年目に当たる。その間に、複数の梵文法華経の写本(断片も含む)が発見されている。
 その中でもケルン・南条本から訳した理由について、植木氏は、次のように「解説」に記している。「諸写本間の異同は複雑を極め、体系的に分類することは不可能に近い」「“完全なる校訂”を待ちたいところだが、時間的余裕もなく」「現時点で、一般の方が目にし得る、ケルン・南条本と荻原・土田本だけでもより正確を期した翻訳が必要と考えて」本書を訳したと。自らの訳が絶対であるなどとは一言も言っていない。自らにできること、できないこと──このような自らの立場を明らかにする態度は、学術研究者として極めて真摯な態度といえよう。
 32音節からなる一つの偈(植木訳では2行分)について31種類の写本でその異同を比較した一覧表を見たことがあったが、1頁に入りきれないほどであった。その異同も、シャーリプトラがシャーリスタになっているといった違い(いずれも、意味は「シャーリーの息子=舎利弗」で同じ)や、単語の語尾の多少の違いなどで、一仏乗、二乗作仏、女人成仏といった法華経のテーマに違いを生ずるものではない。もしも、文献学的綿密さで上記のような違いを一字一句、各写本との比較を注釈に述べたなら、どうなるであろうか。現在でも上下巻合わせた1250頁のうち約三分の一の400頁近くを注釈が占めているのに、本文の10倍近く、あるいはもっと膨大な注釈になり、著しく不恰好になってしまう。そんなものは、出版社に嫌われ、どこからも出版されない。それは文献学者には重大かもしれないが、読者はうんざりだ。植木氏の選択は、極めて現実的であり、誠実な態度だと筆者は理解している
 ケルン・南条本が長年、「カシュガル本の読みを無批判に本文に組み込んでいる」「ずさん」だと酷評されてきたことは、筆者も聞いていた。植木氏は、この点について2008年10月25日付の「中外日報」に「酷評されてきたケルン・南条本 その名誉回復を願って」という小論を発表された。ちょうど筆者が2回目の読了に入った頃で、切り取って『法華経』に挟んで何度も読んだ。説得力のある論旨が強く印象に残っている。
 それによると、2007年にケルン・南条本の底本である『英国・アイルランド王立アジア協会所蔵梵文法華経写本』がローマ字版で出版された。植木氏は、それと、ケルン・南条本を一語一語、逐一突き合わせた。その結果、ケルン・南条本では、なすべき校訂がなされていることを確認した。また、ケルン・南条本の「カシュガル本からの無批判な組み込み」とされてきた箇所は、カシュガル本とは似ても似つかず、むしろ底本の『英国・アイルランド王立アジア協会本』のほうと酷似していることを明らかにした。すなわち、「カシュガル本からの無批判な組み込み」はなかったというのだ。しかも、「無批判に組み込んでいる」という批判は、「戸田宏文覚書」に「南条はこの長行部分を飛ばして最初の手書き原稿を作成したと推定される。この原稿を底本とした日本語訳には、この長行部分が欠けている。これらの事実は、ケルンが長行部分を補ったとする推定を裏付けている」(「東洋哲学研究」2001年所収)とあるように、「推定」に基づいて批判されていたことを知ることができた。
 わが国では、だれかが「これは駄目だ」と言えば、自分で確認もせず、鵜のみにしてしまう傾向があるようだ。これもその典型であろう。植木氏は、風聞に寄らず、自らの目で確認するという態度を貫いている。その態度は、『法華経』の現代語訳においても一貫して貫かれており、そこが、本書の際だったところである。植木氏は、ケルン・南条本も鵜のみにすることなく、文章の前後関係から文法的に意味の通じない箇所や、明らかに勘違いと思われるところに校訂を加えているが、そこにも、注釈で理由を明記するという学術的な態度が貫かれているのだ。
法華経 上―梵漢和対照・現代語訳
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18 人中、18人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 この上ない便利でグーな索引に感謝 : 雪だるま, 2009/8/8
By ゆきだるま (福岡県大野城市) - レビューをすべて見る
 本書の勝れている点の一つとして、21頁にわたる詳細な索引がつけられていることを挙げなければなりません。岩波文庫版にしても、中央公論社版にしても、これまでのサンスクリット法華経の現代語訳には索引がついていませんでした。それを考えると研究者にとっても、一般読者にとっても、大変に便利で有り難いものとなっています。
 その索引の項目を眺めていると、「ブラックホール」という語があって、「何で?」とわが目を疑いたくなりますが、第7章のその箇所を開いて納得。世界と世界の間にある暗黒の闇について、「これらの月と太陽でさえも、光明によってでさえも光明を生み出すことができないでいるし、色彩によってでさえも色彩を、輝きによってでさえも輝きを生み出すことができないでいるのだ」と描写され、まさにブラックホールの概念であることにびっくりします。こんな発想ができるのも、学生時代、物理学専攻であった植木氏ならではのことではないでしょうか。
 植木氏は、過去の研究者たちの研鑽の成果を検証しつつ論を展開されていますが、その研究者たちの名前も索引に列挙されています。例えば、苅谷定彦氏の場合、索引を見ると、言及した頁数が二箇所挙げてあります。
 梶山雄一氏の名前でも、索引に「上, 142」とあり、上巻の142頁を開くと、「五千人の比丘の退出」についての注釈に行き着きます。その注釈で、植木氏は、梶山雄一氏の名前を挙げて、「比丘の退出」といったことは、『法華経』以外にも『八千頌般若経』や『宝積経』迦葉品にも見られると言及し、大乗興起の初期に説法者である菩薩たちがその法を説いている時、従来の声聞、独覚の教えになじんだ人々が集会を蹴って立ち去る光景がしばしば起こったに違いないという見解を紹介しておられます。これは、大乗興起という「仏教の歴史、仏教が時代におかれていた環境」をきちんと読み取ったものです。釈尊在世中の「提婆達多の破僧(教団分裂)」にまで遡るものだと主張される人もいるようですが、それは、時代錯誤というものでしょう。
 このほか、以下のことでも植木訳を通して納得することができました。
 まず、鳩摩羅什が「仏知見」と訳したタターガタ・ジュニャーナ・ダルシャナを、岩波文庫で「如来の知の発揮」と訳していることについての植木氏の批判です。
 英語のshowとexhibitから「発揮する」を正当化しようとしても、show(見せる)もexhibit(示す)も「何々を」「誰々に」の二つの目的語を取り、見せる相手が必要ですが、「発揮する」は「何々を」の一つの目的語しか取らず、見せる相手は必要ありません。従って、ダルシャナ(見ること、直感)を「発揮」と訳すのは無理があります。
 また、子どもを亡くして「生き返らせてくれ」と訴える半狂乱のキサー・ゴータミーという女性をブッダが目覚めさせた話が初期仏典に出てまいります。そのエピソードを「知の発揮」の具体例として考える人もおられるようですが、それだったら「如来の知の発揮」は初期仏教で既に説かれていたことになり、何も法華経において「一大事因縁」としてものものしく説かれる必要などなくなってしまいます。ここは、一切衆生を成仏させることが仏の出現の最大目的であることを明かすところであり、植木訳のほうがはるかに納得できます。
 また、法華経には「仏性」という言葉は用いられていません。けれども、如来蔵思想の研究で知られる高崎直道博士も「法華経の思想を突き進めれば、仏性の思想に至る」という趣旨のことを語っておられるように、その萌芽は内包されています。植木氏は、そこを汲んで注釈の中で「衆生にそなわる如来の知見」という言葉を使われたのでしょう。
 「如来の知の発揮」と訳したのでは、「如来の知」が如来の側の問題に局限され、「如来の知見」の衆生における「開・示・悟・入」という、衆生の側のことがおろそかになります。それは、植木氏の指摘される通りです。
 このほか、これまで、法華経は西北インドで成立したと主張されてまいりましたが、筆者にはその根拠がよく理解できませんでした。ところが、植木氏は、五つの状況証拠を挙げておられ、やっと納得することができました。その一つに、「ヤク」という牛に言及しておられます。ところが、「ヤクの尾」で作った虫を追い払うための払子(ほっす)がインドでも使用されていたので、西北インド成立の根拠にはならないと主張する人もいるようです。しかし、植木氏は「ヤクの尾」ではなく、「ヤクの尾に執着するヤクという生きた牛」を証拠としていることを読み落としてはなりません。「ヤクの尾」(正確には、「ヤクの尾の毛」)はインド各地に輸入されたでしょうが、生きたヤクを見たインド人はほとんどいなかったはずです。
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