昔は、富士山は遥拝(遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと)の山として信仰されていました。やがて平安密教の影響を受け、修験道の山として登拝(信仰登山)の山へと進化してきました。室町時代以降は、布教と登拝者の世話をする富士山御師が登場します。「御師」とは、「御祈祷師(おきとうし)」を略したものです。彼らが、登拝者や信徒に配布したのが富士山の絵札です。そのひとつが、富士山牛玉(ごおう)です。「牛玉」(牛黄)とは牛の胆のうや胃の中でできたもので、早くから高貴薬として重用され、一切の病魔を避除するのに効験があると言われました。護符の一種としての牛玉宝印はここに由来します。版木(はんぎ)と言う木版画を墨で和紙に摺ったものです。
この富士山の牛玉は登拝の道者が身にまとう行衣にも摺られました。昔は、阿弥陀三尊を背に摺ったものをまとい登りました。このことは、仏に導かれて極楽に往生することと同じ意味を持っていました。やがて、江戸後期から明治の初期には、神道の影響により木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を中心とした三神像が描かれるようになりました。
絵の上部にあるものは、右が日輪、左が月輪を描いています。そこに描かれた世界が現世的な時間を超越した世界=他界であることを表したものと言えます。また、合掌する猿(申)が描かれていますが、猿は古来から「山の神」ないし、その化身として礼拝されてきました。