近ごろはファンタジーのベストセラーが出ると何でもかんでもハリポタと比較されるが、少なくともこの本をハリポタと比べるのは全くのナンセンスである。
ハリポタは完成されたファンタジーだし、大人が読んでも面白いが、あくまで児童文学として書かれている。差別などの社会問題や戦闘シーンはあえて適度にぼかされているし、ハリーがほとんど大人になってもセックスしたりしない。
それに対してこのKingikillerシリーズは、大人(ヤングアダルト以上)向けに書かれたファンタジーである。世界設定(中世〜近世ヨーロッパ風)に当然付随する、差別などの社会の負の側面をくっきりと描いている。戦闘描写はリアルに痛そうだし、セックスもおおっぴらに出てくる。同じファンタジーでもジャンルが違うのだ。
ストーリーの本筋は、幼い頃にすべてを奪われた主人公の復讐の物語である。暗い部分はとことん暗い。ただ、暗い部分と明るい部分が交互にやってくる構成になっているので、暗すぎて読んでいられないということは(たぶん)ないはずである。
物語は、(王殺しとして悪名高い偉大な魔法使いのはずなのに)なぜか片田舎の宿屋の主人に身をやつしている主人公が自らの人生を語るという形の一人称で記されている。もっとも、ページの比率で言えば過去98:現在2くらいになるのでしょっちゅう視点が変わる話は苦手という人も心配いらない。
主人公のKvotheはオールマイティな天才な上にハンサムなナルシストで、はっきり言って近くにいたら鼻持ちならないやつに違いない。おまけに倫理観もちょっと欠けていて、モラルにこだわって目的の達成をしくじるようなことは決してない。ルール破りを反省もしない。
しかし、読者はKvotheの不幸すぎる境遇を知っているのでばっちり感情移入できる。Kvotheが数々のピンチから魔法の才能や機転や口先のごまかしや嘘を駆使してぬけだす様はめちゃくちゃ痛快である。シブいおっさんが主人公のファンタジーもいいが、若い天才が起伏の激しい人生の絶頂期をドラマチックに駆け抜ける物語はやはりエキサイティングだ。
また、世界設定が非常によく作りこまれている。
作中世界では黎明期の科学と魔法(みたいなもの)が共存している(ちなみにKvotheはUniversityでどちらも学習することになる)が、「魔法」の方の論理にエネルギー保存則や質量保存則がしっかりと組み込まれているのがFとSFどちらも好きな読者にはたまらない。高校程度の物理や化学をしっかり理解しているとニヤリとできる描写が多く出てくる。
また、歴史や文化人類学や神話といった分野に興味がある人が楽しめる設定も盛りだくさんである。数千年前に滅びた謎の大文明、一神教を広めた帝国、遠隔地のまったく独自の文化、古代の神話や英雄譚など、どれも非常にリアルに作りこまれていて、著者がそれらの分野に精通していることをうかがわせる。
シリアスなファンタジーファンは必読のシリーズである。ただし、あまり設定などに興味がなくて話がどんどん動いたほうがいいという人にはちょっと退屈かもしれない。700ページ近くある上に、話が本筋からしょっちゅう脱線するからだ(その脱線が作中世界とKvotheの人生にリアリティを与えているのだが)。
最後に1つ。作者はブログを運営しているので、作者のファンになった人はチェックするといいかもしれない。作品についての質問についてもたまに答えている。たとえばKvotheの発音。日本語訳だと「クォート」となっているようだが、作者によれば「クヴォート」(トはthの音)が正確らしい("Kvothe pronunciation"で検索すればブログの記事が出てくるはずである)。