教育、医療、ジャーナリズム。ビジネス界にとどまらず、あらゆる分野がマクドナルド化から免れ得ないのは、従来は1つだけでも困難だった効率性、計算可能性、予測可能性、そして制御という、合理化の諸要素を、この原理が同時に提供してのけたためである。
たとえば効率性は、次の3つの課題を解決できれば増大する。多様な過程を簡素化すること。製品を単純化すること。従業員よりも客に働かせること…。こうした作業に従事することは、しかし、まともな大人には耐えがたい。そこで、「ファストフード・レストランはふつう、軍隊と同じように十代後半の若者を雇う。なぜなら、彼らはおとなよりも、簡単に自律性を放棄して機械や手順や規定に従うからだ」。
もちろん企業内の経済合理性に関する限り、マクドナルドの原理は強烈な優位性を有している。だからこそ世界はこれに覆われつつあるのだが、その存在を許す社会の側が強いられる負担や危険はきわめて重大である点に、大衆はあまりに無自覚だ。
彼らによって、食卓を囲む時間を大幅に奪われた家族の絆は希薄化する一方だし、労働者は疎外されるのが常態になってしまった。合理化は下位の階層だけに押しつけられるのが通例だから、不平等はさらに拡大され、貧富の差はますます激しくなって、凶悪な犯罪が増える。それを取り締まるための膨大なコストが必要になる。
ポストモダンの代表として扱われがちなマクドナルドは、その実、モダニズム初期に原始的な経済人仮説から出発したテーラーシステムや、その延長線上にあるフォーディズムにどっぷりと浸かっているという。にもかかわらず、こんなものを「脅威ではなく涅槃の境地」と感じる人が多数派になりつつあり、世界標準になろうとしている現実の描写には、人間の愚かさを目の当たりにさせられる思いがする。
世界のマクドナルド化に対する著者の論考に、評者はほぼ全面的に賛成できる。それにしても人間性の果てしない喪失は一体何をもたらすのか。人間は現実を直視し恐怖して、せめて明日への処方箋を書き続けることしかできないのだろうか。
(ジャーナリスト 斎藤 貴男)
(日経ビジネス1999/7/26号 Copyright©日経BP社.All rights reserved.)
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