内容については「商品の説明」の通り。ファシズム・ナチズムのメタナラティブ的分析としては最初の本だそうです。「20世紀初頭のウィーン生まれ」と知ってドラッカーにぬるい興味を持っていたのですが、二十代でこんな本を上梓する一種天才肌の若者だったとは驚きです。
ファシズム・ナチズムは現在「産業」化していますから、バッタもん本もずいぶん出回っています。マルクス主義史観のファシズム論は読んでも時間の無駄ですし、「民族性」に言及する歴史語りは三流と相場が決っています。各国の思惑が絡んだきな臭さを感じることもしばしば。Goldhagenの『Hitler's Willing Executioners』を英米メディアが持ち上げたのは、EUの盟主たる統一ドイツへのアングロサクソンの嫌がらせじゃないのかとか。しかしバッタもんに神経質になるあまり名高い著者の本を手に取ると今度はやたらハードな読書体験になったり。アーレントの『The Origins of Totalitarianism 』など一般人が読めば「こんな長くて難しい本を読むつもりでは…」と泣くことになります。
本書は大変に読みやすい一冊。マックス・ウェーバー、ヴィルフレード・パレートといった学際主義的社会生態学を手本にしたと言うとおり、著者の複眼的視点が大変に有難い(政治経済、社会思想、宗教といった大テーマから同時代の体験談も交え)。著者の宗教に対する視点は殊に痛切です。社会主義も資本主義もあの状況ではナチズムに対抗する力は持ち得なかった。何故ならそれらこそが絶望の根源だったのだから。本来的には、ナチズムに対抗する力を有していたのは宗教だけだったのだと。同時に、著者は近現代社会における宗教の限界を認識してもいます(宗教は個人を救済しても集団は救済出来ない)。コンセンサス不在の混沌とした分野ですし、一般読者が一冊だけ選ぶのならば本書が最適ではないかと思いました。