1957年盤、実に遅い演奏です(ハース版、[86:57])。その遅さとともに、ベルリン・フィルの音色は、重く、かつ暗い点が特徴です。運行はまことに慎重で、与えられた時間にどれだけ充実した内容を盛り込むことができるかに腐心しているようです。よって、リスナーにとっては、集中力を要し疲れる演奏です。しかし、この1枚が日本におけるブルックナー受容の先駆けになったことは事実で、ながらく8番といえばこのカラヤン盤ありとの盛名を馳せました。
本盤は、かのウォルター・レッグのプロデュースによる初期ステレオ録音でこの時代のものとしては素晴らしい音色です。フルトヴェングラーと比較して、いわゆるアゴーギクやアッチェレランドは目立たせずテンポは滔々と遅くほぼ一定を保っています。
音の「意味づけ」はスコアを厳格に読み尽くして、神経質なくらい慎重になされているような印象ですが、その背後には「冷静な処理」が滲み、フルトヴェングラー的感情の「没入」とは異質です。しかし、そこから湧出する音色は、重く、暗く、音の透明度は増していますが、なおフルトヴェングラー時代のブルックナー・サウンドの残滓を強くとどめているように感じます。
象徴的に言えば、カラヤンはここでフルトヴェングラーの「亡霊」との格闘を行っているような感じすらあります。しかし、過去を払拭せんとするその強烈なモティベーションゆえか、この演奏の緊張感はすこぶる強く、ねじ伏せてでもカラヤン的な濃密な音楽空間を形成しようと全力を傾けており、よってリスナーは興奮とともに聴いていて疲労を感じるのではないかと思います。
後年のベルリン・フィルとの正規盤(1890年ノーヴァク版、[82:06]録音年月日:1975年1月20〜23日、4月22日、録音場所:フィルハーモニーザール、ベルリン)を聴くと、ここでは自信に満ち一点の曇りもないといった堂々たる風情ですが、1957年盤の歴史的な価値は、フルトヴェングラーからカラヤン時代への過渡期における<緊張感あふれる一枚>という観点からも十分にあるのではないでしょうか。