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Reggio reuses techniques familiar from the previous film (slow motion, time-lapse, superposition) to dramatize the effects of the so-called First World on the Third: displacement, pollution, alienation. But he spends as much time beautifully depicting what various cultures have lost--cooperative living, a sense of joy in labor, and religious values--as he does confronting viewers with trains, airliners, coal cars, and loneliness. What had been a more or less peaceful, slow-moving, spiritually fulfilling rural existence for these "silent" people (all we hear is music and sound effects) becomes a crowded, suffocating, accelerating industrial urban hell, from Peru to Pakistan. Reggio frames Powaqqatsi with a telling image: the Serra Pelada gold mines, where thousands of men, their clothes and skin imbued with the earth they're moving, carry wet bags up steep slopes in a Sisyphean effort to provide wealth for their employers. While Glass juxtaposes his strangely joyful music, which includes the voices of South American children, a number of these men carry one of their exhausted comrades out of the pit, his head back and arms outstretched--one more sacrifice to Caesar. Nevertheless, Reggio, a former member of the Christian Brothers, seems to maintain hope for renewal. --Robert Burns Neveldine
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5つ星のうち 5.0
建築はどこから来たのか,
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レビュー対象商品: Powaqqatsi [DVD] [Import] (DVD)
この作品から、都市的視点を通してからしか自然を見られなくなっている(つまり田舎の消失)という視点に対するアンチテーゼを読む事ができる。なぜならここには田舎で働く人の無意識のリアリティーが淡々と映像をつなぐ事{生活する人々の描写からその人々が暮らす建築を俯瞰するというパターンやその内部からの視線〔バルト「エッフェル塔的」〕}によって暗示されているからだ。場所が特定できない上、 さらにKOYAANISQATSIでの水平と垂直が強調されたロン・フリックのカメラワークと対照的に傾いたアングルでダイナミックな絵が加えられているのも成功している。 個人的にはサンプルベースの加工を(特に群集と喧騒が現れるシーン等に)〔メロディックなシーケンスでは情緒的過ぎる為〕増やして欲しかった。 (フィリップ・グラスはオーケストラワークに専念した方がいいのでは、と思った。なぜなら、反復する旋律より主的旋律の方が魅力的で、それを導きだす為の反復であったとしても制作上の理論や手法が聴衆に対しむきだしにされているのは<(これは近代芸術に共通する)聴衆を無視するのが美徳であるかのような>あまり感心できない。 映像上では何度も繰り返しフレームに収められている子供たちが印象的で、「人間の何も持たない状況からの視線」を鑑賞者の脳裏に呼び覚ます。 元々あった世界からそれ以降の世界への旅として捉えることができる。 さも都市と地方は別々に存在していて何も関わりがないかの様なイメージを植え付ける単なる広告的イメージに過ぎない)実際垂れ流されるパブリックイメージが作品中で印象的に使用されている。 <(世界が収縮し狭くなっているかのような錯覚) 余談だが、今作のような対象の記号的扱い(異なる国の映像が矢継ぎ早にスイッチする技法を多用しているという意味で)から象徴的次元に移項した映像がBARAKA〔ロン・フリック監督作〕で単なる環境ヴィデオとしてしか見られない駄作だ。 全体的にこのPOWAQQATSIという作品は、散りばめられている記号の数が適度であるという点と力強い運動が誇張されている点において楽しめる要素が多い。巨大スクリーンで爆音再生すべき映像である。 簡潔で様々な解釈を許すこの作品だけ見てこのシリーズを理解するのが賢明だと思う。
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