今年も年が越せそうで結構なことではある。こうして大掃除ならぬ小掃除をするくらいの“余裕”はあるのだから・・・。と、本棚などをひっくり返していると内田光子のモーツァルト・ソナタ全集輸入盤を発見。10年近くも前に購入したものだろうか。
ラファウ・ブレハッチの弾くピアノ・ソナタK.311を聴いたのをきっかけに、このところ、あらためてアマデウスのソナタに嵌っている。何という静かで孤独な世界。最小の音が構成するあらゆる感情の宇宙。
俺ももうすぐ死ぬのかな? などと思ったりする。
数多い全集の全てを聴いたわけではないが、まだ若き内田の演奏は全曲最高の水準を保った稀有のセットだろう。何故か世評は低いようだが、それは際立った仕掛けとか壮絶な追い込みとかがないからだろうか。評者には、よくぞここまでの細やかさとテンションを維持できるものだという驚きの演奏である。任意の作品を取ってきて、そのアンダンテなり、アダージョなり、ロンドなりの一音でも他の音に換えてみれば、この世界は台無しになってしまうだろう。
ことに、K.545、570、576、533(+494)を入れたディスク5の出来は、聴く者を危うくするほどだと言いたい。勿論、そういう作品をモーツァルトは作ったのである。
K.545の冒頭楽章のアレグロ。誰もが知っている穏やかで軽快でもあるメロディが凛々しく鳴り出すと、もう心はあちらへ行ってしまう。そのテーマが転調してからは震えが来るほどの哀しさと孤独だ。それはいつの間にか音量を変えて穏やかな長調に戻っている。その自然な変わり身の速さにも心が深いところで傷つけれるようだ。うっかりしていると気づかないくらいの傷であるが。
以上の心の推移は、アンダンテにも一層当てはまる。なんという哀しい調べ。転調の妙は、あくまでさり気ないが、物凄いことが起こっているのが何度も聴いているとジワジワ(わかる人にはすぐに)わかってくる。評者はそれを最近理解した気がする。
ここらは内田の優れた技量と器のゆえであるが、内田を褒めているというよりは、モーツァルトへのオマージュになるのだろう。音楽のすべてがここにある。
そして、最後のロンド。内田の演奏時間で2分程度のご機嫌な音楽。一見どこにも激するところがないこのロンドには、K.545の結論があろう。時間にしてわずか数秒の転調後のテーマもさり気ないが言葉を失う。
K.570のアダージョ!!! 短調の中間部へ転じてからの調べはほとんどいたたまれない。その慎ましいさり気ない美音で内田は天使のように人間の哀しみを歌っている。臭いけどほんとうにそう思う。こういう音楽はあんまり聴きすぎるとよくないなあ〜。