現役の大学生であり、また早大ピアノの会のメンバーである3人がそれぞれ数曲を演奏したものを一枚のCDにしたという構成ですね。
曲目は以下のとおりになっています。
小川実
1.ラフマニノフ:前奏曲嬰ハ短調Op.3-2「鐘」
2.ベートーヴェン:ピアノソナタ第23番「熱情」Op.57
3.ヘンデル:チェンバロ組曲第7番よりパッサカリア
重松和人
4.ドビュッシー:夢L.64
5.カスキ:夢Op.19-1
6.カスキ:森の精Op.10-1
山田翔平
7.ショパン:練習曲Op.25-11「木枯らし」
8.ショパン:「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」Op.22
9.サティ:ジムノペディ第1番
まず、小川実さん。彼の第一曲目はラフマニノフの「鐘」から始まります。この曲は、フィギュアスケートの浅田真央選手がバンクーバー五輪のフリーで使用した曲としても日本では有名になりました。陰鬱としたテクスチュアから始まり、物悲しい印象を受けさせる曲ですが、一打鍵一打鍵にしっかりと気持ちが入っているのが伝わってきます。何かを訴えかけるような、短調の中に情熱が見え隠れしています。そんな感情がベートーベンの「熱情」へと引き継がれていく。曲が変わったのを感じさせない、流れるような曲の移り変わりもまた見事です。
「熱情」はフルで演奏されており、演奏者の気合も伝わってきます。「熱情」はベートーベンの三大ピアノソナタとされていて、中期の作品の最高傑作として非常に有名な曲でもあります。導入部分ですが、「鐘」の要素を上手く引き継げているからなのか、非常にあっさりと落ち着いた導入でありました。もったいぶらない感じが好印象です。私の印象としては全体的にとても丁寧に弾いているなという印象を受けました。第三楽章のAllegro ma non troppoも行き急いでしまう傾向にありますが、非常に落ち着いて、しかし芯のしっかりした演奏になっていました。情熱的にしかし冷静に。彼のオトナな一面を垣間見ることが出来ました。「熱情」に関して言えばピアニストの清塚信也さんや横山幸雄さんの演奏CDをよく聞くのですが、彼が音に熱情を表している一方、冷静な熱さをこのような形で表現できるという点でこのような表現方法があるのかと、目からウロコでした。
最後に、急に時代をさかのぼり、バロック時代のヘンデルの「チェンバロ組曲第7番」を仕込んできました。これはどういう意図があったのでしょうか…?これはパッサカリアといって「通り」と「歩く」の合成語といわれています。あくまで推測でしかありませんが、熱情を存分に表現した後、そこには更なる道が開かれている。つまりこれからの未来の自分を「過去の遺産」を糧にして切り開いていこう、という意図なのではないかと勝手に考えています。
(ちなみに、ベートーベンの中期の私のお気に入りは「告別」です。是非聞いてみてください。)
そして、二番手、重松和人さん。彼は演奏曲名を統一させてきました。ドビュッシーの「夢」とカスキの「夢」。それぞれ年代も重なる部分もあり、その時代背景の中、二人はどのような想いで曲を書いたのか。そこに違いはあるか。また、ドビュッシーの「夢」は有名になり、なぜカスキの「夢」は埋もれてしまったのか。
ドビュッシーの「夢」は一言で表すととても曖昧。夢の中のまどろみにいるような、そのような雰囲気。意識もはっきりしておらず、自分が誰かもよくわかっていない。そんな雰囲気を持っていて、そこをとてもうまく表現していました。
一方、カスキの「夢」は一音一音はっきりしています。そして、不穏な雰囲気を漂わせてもいます。まるで、夢という名の迷路に迷い込んだかのように。私はどこにいるのか、私は誰なのか、誰か、教えて…そう語りかけるかのように。
この違いをとてもよく味わうことができて、またそこを上手く表していたように思える。
最後のカスキの「森の精」ですが、カスキの「夢」の続きを表しているように思えます。迷っている夢の世界で森の精が現れる。すると、精が導いてくれる。戯れながらそうして自分は夢から抜けだして新しい日々を歩んでゆく。そのような印象を受けました。
そして、最後に山田翔平さん。彼の演奏する曲は、今回はショパンが中心。最初の曲は「木枯らし」。私はショパンの練習曲に関しては様々な人のCDを聞いていますが、これもまた彼らしい特徴が出ていてとてもよかったと思います。最初の導入から主題の16分音符の6連符に転換するときの息をはっと飲ませる感じは、見事でした。ポリーニのショパンや横山幸雄さんのショパンは強弱感を非常に出して演奏している一方、淡々と演奏している様子が感じられます。しかし、こちらのほうがショパンの練習曲に合っているかも??と感じました。そもそもは練習曲なのですから、あえて気持ちを込める必要はないのかも?と思い直させられました。叙情的ではなく叙事的でいいんです。
そして、「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。この曲は戦場のピアニストのEDとして使われました。アンダンテ・スピアナートの部分は心を揺らがせます。柔らかい旋律は聞いた人をとりこにしてしまいそう。耳あたりのよい、しかし決して聞き逃すことのできないアルペジオ伴奏と共に、レシタティーヴォもとても綺麗に演奏されています。
そして、一転、華麗なる大ポロネーズの方は快活なファンファーレから始まり元気づけられるような音楽です。よく聞くポロネーズの形を受け継ぎながらも独創性が見えるこの曲。主部もよく感情的に表現できていて良いと思いました。さり気ない技工も本当にさり気なく演奏していてすばらしい。
最後にサティの「ジムノペディ第1番」で締めたのは大きな驚きと共に、感心のあまりため息が出てしまいました。なるほど、全体的に「熱情」や「木枯らし」や「華麗なる大ポロネーズ」のように激しくまた快活な音楽が多かったこのアルバムに一つの区切りとして鎮静曲としてのこの曲はいいです。ですが、一点、最後の締まりのなさは強調され、最後はとても中途半端な形で終わります。しかし、これは一つの策略なのではと私は推測します。これから先、あえて締めないことによって、これから先にもまだ自分たちには道が続いているんだということを表したかったのかもしれません。
彼らはまだ大学生。これから長い人生を歩んでいく上で、終わりを作りたくなかったのかもしれませんね。
ここで、強調しておきたいのは、彼らは音楽専門教育機関で学んだ経験がないということ。しかし、それは逆に自らの潜在能力によって、技法や理論に縛られない、自由な演奏を出きるということではないでしょうか。そして、個性的な演奏は人々の心を掴みそして離さない。ぜひ、一度、この世界にどっぷりと浸かってみて欲しいと思います。
きっと聞いてみて後悔はしないはずです。