著者はつねづね「パレスチナ人の側の物語が決定的に不足している」ことを訴えてきた。だから死ぬ前に、迫害と収奪の痛みを記憶するパレスチナ人として、パレスチナの物語を「わたし」の中から紡ぎ出さねばならない。それが彼のいう「使命」なのだろう。
しかし、エドワードはいわゆる「パレスチナ人」ではなかった。1935年、イギリス委任統治下のエルサレムで生まれ、やはりイギリスの植民地だったカイロで幼児教育を受けるのだが、父からはいつも「お前はアメリカ市民だ」といわれて育った。父のワーディーは1911年、ブルガリアと戦争を始めたオスマン・トルコの徴兵を避けてアメリカに逃げ、第1次世界大戦に米軍兵士として参戦した功績が認められて米市民権を得た。「エドワード」という非アラブ的名前は、「アメリカ市民」を自負する父が、アラブの中に「決然と小さなヨーロッパのまがいものをつくろうとした」結果なのである。それでもエドワードは、欧米人でもアラブ人でもない「うさん臭いまでに不確かな」アイデンティティーをかぶりながら、欧米人からはしっかり差別され、やがてパレスチナを追われていく。
かくさまざまにパレスチナを踏みしだいて行った歴史の轍をたどりながら、エドワードが探しているのは、「エドワード」の下に潜む本当の「わたし」なのである。しかし、それはアイデンティティーという「堅牢な固体としての自己」ではなく、「流れつづける一まとまりの潮流」のようなものだという。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも似た、記憶への遠い旅の記録である。(伊藤延司) --このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。
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ただ、一つだけはっきりさせておかねばならないのは、彼の人生は典型的なパレスチナ人の人生とはあまりにもかけ離れている、ということです。 簡単に言えば、多くのパレスチナ人がイスラエルに追放され、難民キャンプで肩を寄せ合い暮らしていた頃、「エドワード」は「ハーバードの修士課程中」の「夏休み」に、「ギリシャ」を旅行していたわけです。 それ自体は悪い事ではないのですが、そういった人でなければパレスチナ人の「語り部」にはなれない、(難民は生きるのに精一杯で勉強したり本を書いたりする暇も余裕もない)というのが、実はパレスチナ人の本当の悲劇なのかもしれません。
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