まず、著者が一介の追っかけファンだなんてとんでもない。存続活動のころから劇団内部に出入りして、スタッフも同然の扱いを受けていた。幕内をうろうろできる一介のファンがどこにいる?
だから、著者が後書きの中で民事再生法の問題にふれ、「これだけドラマチックな目に遭うとは、私も思っていませんでした。」と、自分は全くの部外者で、一介のファンに過ぎないというスタンスで語っているのには、違和感を覚えた。
著者はプロの物書きのくせに主婦であることを強調し、劇団関係者として様々な特権を与えられておきながら、制約や責任から逃れるために一介の追っかけファンである立場も手放さない。
都合が悪くなったらいつでも引っ込められるよう、素人の側に軸足を置いておいてプロの領域に片足を突っ込む。線引きが甘く、覚悟の定まらない姿勢で、中途半端にOSKに関わってきたのが著者である。
青弓社のWeb 上に『原稿の余白に』というコラムがある。その中で著者は、この本に対するアマゾンのレビュアーへの言い訳と自己弁護を繰り広げているが、その内容のあまりの幼稚さにはあいた口がふさがらなかった。しかもその根底には☆一つであったことへの相当な不満と恨みが透けて見えている。挙げ句に「人類の進歩に何ら寄与しないレポートなんてなかなか本になって売り出せない,まあ,一種の病体記録みたいなものであろう、けっこう貴重である、」との夫の言葉を引用して自画自讃しているから世話はない。
気の弱いダメな主婦という仮面の下に、自分の感性はユニークで絶対だと思っている、プライドの高さと傲慢な素顔が透けて見えるようでは、この人もおしまいだ。
New OSKの思い出の縁にと購入したが、買って激しく後悔した。これは著者がNew OSKをさんざん玩具にして淫した日々の残滓に過ぎない。
著者の「もう帰って来ない楽しかったあの頃」は、数千万円ものファンの私募債という犠牲の上に成り立っていたことを、著者はどのように思っているのだろうか。
一介の追っかけファンどころか、ファンに泣き寝入りさせた側の提灯持ちだったではないか。法的には著者に何の責任もない。だが、コウモリのように立場をくるくると変えて、こんな本まで出してしまった著者の世渡りの上手さには、何か釈然としないものを感じるのである。