レニー・トリスターノの音楽の特徴は、
1:現代的(ホールトーン・スケール等)な音列を大胆に使用する。
2:和音も所謂、"厳しい"和音を使う。
3:当時主流であった、バップ系のアプローチ(チャーリー・パーカー、バド・パウエル、ディジー・ガレスピー的なアプローチ)を排し、独自なサウンドを追求した。
4:イーブンなノリを好み、8分音符がレガートしない。
5:多重録音の利用やテープスピードの改変による、当時(45年あたりから50年代末期にかけて活躍)のジャズ・レコード制作としては、かなりトリッキーな録音も手がけた。
こうした諸点にあり、サウンド的にはクールな響きがあるのですが、演奏そのもののテンションはかなり高く、スリリングな緊張感に満ちています。
所謂、"クール派"の生む多くの音楽が、耳に涼やかな、表面的な都会性、白人性を売り物にする音楽になっていったのに反して、トリスターノの音楽は常に厳しさの極北を目指して創造される、孤高の音楽だったのです。
彼の残した、決して多くないアルバムの中でも、とりわけ私の大好きな一枚がこれ。全編ピアノソロのこのアルバムは、最も、彼の音楽の独自性を強力に印象づける仕上がりです。それは、他のメンバーの余分な音が入らないだけに、彼独自の世界が存分に繰り広げらており、また、聴き手もそれに集中できるからでしょう。
身近だった人達からの、彼の人間性についての証言で、好意的なものを読んだことがありません。大変に偏屈だったとか、下劣すれすれの猥談を好んでしたとか、ドラマーのシンバル・プレイに対して、四つ打ちしか認めず、レガートを入れると、随分な言葉で罵った、とか、様々な逸話が残されています。しかし、その音楽を聴く限りでは、音楽の創造に際して、些かの妥協も譲歩も許さぬ、極北の知性の厳しい視線を感じさせるばかりです。おそらく彼には音楽に対する、余りにも独自な為に孤絶に至る程の峻険な理想(ヴィジョン)があり、それを表現するに際して、他人の介在がつらかったのではなかろかと思うのです。ですから、ピアノ・ソロ、というスタイルは彼にピッタリだったのでしょう。
名スタンダード・ナンバー、"You don't know what love is"に於ける、冥王星の氷原を想わせるほどに冷たい孤絶感の凄まじさ。私の配偶者さんは、この演奏を評して、『これが恋の唄なのなら、きっと火星人の恋の唄だわ』と言いました。けだし名言。同曲のソニー・ロリンズ録音の豊穣な官能性と比すれば、これが元は同じ曲とは思えないほどの解釈の差は、全く、人間と火星人ほどの隔たりを感じさせるのです。
また、"Cマイナー・コンプレックス"に於ける、凄まじい緊迫感とスウィング。そうです、レガートを排し、あくまでイーブンに迷宮を駆けめぐる、その音列は、とてもクールで空気さえ凍り付くかのようですが、それでも、真っ赤に燃え上がるほどの"緊迫感とスウィング"を同時に放っているのです。