科学番組作りに関してつくづくNHKは素晴らしい局だと思う。民放もたまにいい番組作りをするけれど、打つ数とヒット率とリサーチの詳細さの水準、いずれもNHKは群を抜いている。公共放送だからというだけでなくスタッフの教養レベルの高さと問題意識の大きさでまぎれもない差がついてるのだと思わずにはおれない。最先端の研究レベルの数学でNHKスペシャルだなんて!「地球大紀行」「アインシュタインロマン」はじめとする最先端科学を題材とした数々の名科学番組を送り出してきたNHKですが、まさか数学には手を出すことはないだろうと思っていただけに新鮮な衝撃でした。
数々の才能の挑戦を退けてきた100年来の超難問「ポアンカレ予想」を解決した業績で「数学界のノーベル賞」と言われるフィールズ賞授与を打診されたにもかかわらず受賞を拒否、数学界ばかりか社会からも隔絶し行方をくらました謎の天才数学者ペレリマン。これは間違いなく科学史の世界に現われたひさびさの大物役者です。そりゃあNHKでなくとも飛びつきたくなるわけです(でもNHKしか飛びつかなかったみたいですが・・・)。これはもう好奇心くすぐられるゴシップでしょう。
しかしそこはさすがNHK。ゴシップを追いかけまわすのではなく、話の前提となるペレリマンの数学的業績の意味が何であるのかを説明すべくポアンカレ予想研究の歴史を丁寧にたどってくれます。ポアンカレ予想解決に文字通り人生を捧げたパパキリアコプーロスの悲運の物語、「マジシャン」と称される圧倒的な才能により同業者の戦意を喪失せしめたサーストンの改心の物語・・・正直ペレリマン以外の数学者たちの物語にじんわりとするものがありました。この番組(本書)の一番見事な点はポアンカレ予想研究の歴史を関係者に直接インタビューして再構成している点ではないだろうか。こういう徹底した番組コンセプトのあり方こそがNHKに一番感心するところです。
こうして「なぜ、いかにしてペレリマンはポアンカレ予想を解決できたのか」に答えたところで、いよいよ「なぜペレリマンはフィールズ賞を辞退したのか」の謎に番組(本書)は解答を示します。ミハイル・グロモフ博士は言います。すなわち、無用なものを全部削ぎ落とした求道者的で孤独な生活に耐えてきたその純粋性こそが当の問題を解決せしめ、そして賞を辞退せしめたほかならぬ原因であろう、と。ペレリマンの修道士と見紛うほどに純粋な人格的特質と彼の偉大な数学研究の成果とを関連付けようとするほとんどイデオロジカルなまでの科学知識-科学者関係の認識の様式は当番組でも健在。
しかしそうした厳格でストイック、世間との交わりを徹底的に拒否するパーソナリティは必ずしもペレリマンの生来のものとは言えず、どうやらポアンカレ予想という神の秘密を知るためにやむなくしてそうなってしまったのだというような描き方もしています。神の秘密を解き明かそうとする有限なる人間が払わねばならない代償。そうしたモチーフがこの本(番組)の底には一貫して流れているように思われました。