チヨバアが「転生忍術」で自分の命と引き換えに我愛羅を生き返らせたのは、我愛羅に対する「償い」と「未来を託す気持ち」からでした。そして今回、長門が「輪廻天生の術」で自分の命と引き換えにカカシ先生たちを生き返らせたのも「償い」によるものです。確かに、自然の摂理に反する点では大蛇丸と同じですが、それが「人の為かどうか」という点で両者は全く異なる、と私は思います。
私は、チヨバアのときも嫌いにならなかったので大丈夫でしたが、「漫画であっても、死人が生き返るなんて許せない」という方には、本巻はおすすめできません。
自来也先生は、ナルトに全てを託して死にました。そして、想いを託されたナルトは、師の敵討ちではなく対話を選択します。賛否両論あると思いますが、少なくとも自来也先生は、ナルトに自分の敵討ちを望んでいたわけではなかったですし、むしろ最後に、自分の残した本を通じて弟子たちが歩み寄れたことを、あの世で笑って見てくれている気がします。
何より私は、折り紙の花束とクナイで飾られた、自来也先生のお墓(両脇にあるのは長門と弥彦のお墓でしょうか?)を見て、師匠と弟子たちとのつながりや、「師」として慕われて弔われているのを感じて、すごくジーンとしました。
もし、ナルトが「自分をノケ者にした里の人間を見返したい」と思い続けてきたのなら、里の皆に歓迎されるシーンを見ても、「手のひら返したように寄ってくるなんて。都合よすぎるわ」と引いてしまったかもしれません。でも、ナルトは「里の皆に自分の存在を認めてもらいたい」と思い続けてきました。ですので、里の皆に迎えられたナルトを見て、私は、31巻の、我愛羅を心配して砂隠れの里の皆が集まったシーンと同じくらい嬉しかったですし、感動しました。
私は、岸本先生が「平和の方法論」を示したかったというよりは、大事な人の死や、とてつもない難題に自分なりに向き合おうとするナルトの姿・心の動きを、読者の方々に見てもらいたかったのではないか、と思います。心の弱い自分自身と日々たたかう一人として、私はナルトの姿に励まされました。
まとまりのない長文ですみません。