60年代前半のフリー・ブローイング時代は、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウイリアムスというすばらしいリズム・セクションに恵まれ、思いっきりライブでトランペッターとしての実力を発揮できた。おそらく楽器奏者としてのマイルスにとって、この時代が絶頂期だといえるのではないだろうか。そんな中でマイ・ファニー・ヴァレンタイン、ステラ・バイ・スターライト、アイ・ソート・アバウト・ユーといったスタンダード・スロー・バラードがまとめられたこのアルバムは50年代の静的リリシズムとは一味違ったセンチメンタリズムの総決算のような演奏である。65年を最後にスタンダードから離別したマイルスにとってこの演奏は甘く、切なく、美しいジャズへの最後の別れを惜しむかのごとく入れ込んでいる。個人的にはステラ・バイ・スターライトが最も愛着の持てるトラックだ。ジョージ・コールマンのソロやハンコックのドライブ感あふれるピアノもすばらしいが、やはりマイルスの後半のテーマ解釈は美のレッドゾーンの極致の領域に踏み込んだ事を自覚して、自らそこから身を引いたのではないかと思わせるほど美しい。過剰なセンチメンタリズムが危険であることを知っていたマイルスは、この後ウエイン・ショーターとともにあらたなハード・ボイルドな神秘的モード・ジャズへと突き進むのだ。