本書の前半はプラハの「赤いバラの屋敷」で昏倒してしまったニナと彼女を助けたリプスキーの物語。そして後半はDr.テンマの元婚約者エヴァがデュッセルドルフからフランクフルトへと移動した後の物語です。
リプスキーは幼少時に「赤いバラの屋敷」の朗読会に参加していた経験があります。当時を振り返るたびに、朗読会にいた「あの人」の「期待にこたえられなかった悲しい」思い出ばかりが蘇ります。自分以外の参加者たちが期待にきちんと応えていくかたわらで、彼だけはそこに居場所を見出せずにいました。
成人した今も居場所を見つけらない彼は、「いらない子になった」という思い出しか残らないはずのあの「赤いバラの屋敷」の前に舞い戻ってしまいます。
一方、エヴァはある仕事をフランクフルトで依頼され、毎夜華やかな社交パーティへと足を運びます。アルコールに溺れる生活から突如として、病院長の娘時代と同様のきらびやかな世界へ戻ったかに見えるエヴァ。「これが私の本来の姿よ」、「エヴァ・ハイネマンが本来あるべき所へ帰ってきたのよ」と得意げです。
リプスキーもエヴァも、自分のあるべき場所を求めて長きに渡ってさすらってきたことがよくわかります。
今ある自分にどこか釈然としない思いをかかえたときに、人は拠って立つべき基盤として、華々しい経歴や美しく楽しかった過去を振り返りがちです。リプスキーにはそうした思い返すべき心躍る記憶はなく、エヴァは虚飾の過去に自分を紛らすばかりです。
それぞれが過去を探し、追い求める姿は決して私たち読者の目には美しいものとしては映りません。
そしてこうした二人の姿に対して、ディーターはこう語りかけます。
「テンマが言っていたよ。楽しい思い出がなかったら、つくればいいって…」
振り返るべき美しい過去を常に作り続けていくこと。それこそが真摯に生きるということなのでしょう。