比較的評価の低い作品ながら、カフカ読みには、「こういう解釈もあって当然」と納得できる作品。正直、正統派、硬派には通俗的、一面的仕上がりの作品に思えるかもしれない。映像化された「変身」(日本でのParco作品を含めて)、「田舎医者」(山村さんの手になる日本アニメの最高峰)、「城」、「審判」、「アメリカ(階級関係)」というカフカ作品の映像化の困難さへの挑戦。そうした映像化された諸作品を承知の上で、これはカフカという人物像、その短編郡の諸作品連鎖の一つの解釈として成りえているものと評価している。問題は、カフカ読み、カフカ信奉者の方々の評価が、懐深く受容性の広い感受性を持って頂けるかどうかの問題だ。解釈、講釈は人それぞれ。カフカの洒落っ気、一件暗いながらも「つい笑っちゃいます」という、彼の批判的に達観した世界観、人生観をエンジョイすべき時代に、今はあるのでは。奥底に流れるカフカの主張は、常に普遍であることを主張しつつ、それをどう表現して行か、またそうした完成した映像物をどう捕らえてゆくかは、カフカ読み、カフカ・フリークの度量にかかっている。カフカ生原稿の池内さんの新訳で、カフカ像が徐々に変貌する中、ステレオタイプの映像、またそのデフォルメをもっと楽しんではいかがなものではないだろうか。「型にはめた」カフカ像ほど、つまらなく、またその本質を見抜く糸口を逸する。生毒あわせ飲む姿勢が必要。秀作は、他人や権威者、プロの決めることではない。それを判断するのは、あなた自身だ。