時刻表検定なるものがあるらしいが、自分には不要である。本当の鉄道好きは、少年の頃から時刻表はバイブルとして常に携帯すべき伴侶であるので、そのような類の検定を受けるまでもないからである。
私が少年の頃(80年代)における時刻表の使い方としてはもっぱら「妄想」であった。今日は何線にしようかと目星を付けて、始発から開始するのである。もちろん優等列車がステキなのであるが、急行などの隠れた存在に魅惑され「天の川」「新星」「門司」「天北」などの際どい夜行急行ばかりで始発から終点まで妄想するのである。横には電車図鑑を置いて、まずは始発駅のアナウンスからはじめるのである「先頭は1号車から4号車までがB寝台、5号車がグリーン車。。」という具合である。この時は女性の声なので、声を裏返らせてファルセットボイスを駆使するのがミソなのである。少年時代ならともかく、変声期を超えるとなかなか難しくなるので、少年時代にこの楽しさを満喫すべきだったと後悔することもある。
その後発車後の、車窓による停車駅の案内と時刻案内。そして車窓を楽しむのであるが、妄想なのでかなり限界がある。そこは、体を揺らして「模擬振動」でカバーするのである。放課後体を揺らして、アナウンスしながら、時刻表を眺める少年。。。かなり奇特である。なぜ、家族は誰一人咎めなかったのか。。。私は当時東京在住で、両親がそれぞれ兵庫と名古屋出身という、鉄好きにはパラダイスな設定であり、毎年帰省には、時刻表携帯が義務づけられており、リュックに偲ばせるのである。当初は携帯版であったが、お小遣いが膨らみマニア度も上がってきて最終的には大型版をいつも携帯することになり、家族から咎められたのである。
当然、小学生はお金が無いので、一冊で1年を切り抜けるのである。そのため、表紙はとんでもなくボロボロで、1ページのみならず、30ページあたりまで原型を留めないほどボロボロになるのである。時刻表の30%近くのページがテープで修復されて使い込んでいるような状態であった。後年お袋から聞いたのであるが、ある日お袋がボロボロになった時刻表を見つけて、オヤジに「これもう捨てようか?」と聞いたところ「そんなこと絶対したらダメだ!!どうしてそういうことをするんだ!!」と凄い勢いで制止したらしい。当たり前である。健常者はソレはどうみてもゴミにしかみえない。しかし、これは結構感動した。さすがマニアはマニアの心を良く解っているなと(注・父親は還暦を過ぎてもポルシェをサーキット場で乗り回すようなマニアである)。そして、マニアの血は争えないなと。
しかし21世紀になり、革命的な出来事が起こったyoutubeの登場である。これにより時刻表の使い方が衝撃的に多様化した。つまり「妄想」からの離脱である。実際の車窓シーンを見ながら時刻表で確認するのである。30過ぎても基本少年時代とやっていることが変わっていないことが、嬉しくもあり、妙に悲しくもなるのだが。。。
最近は若年層の創造性の欠如が叫ばれているが、一番大きな原因は、IT化普及による時刻表による「妄想プレイ」を皆しなくなったのが原因だと私は考えている。
たとえば、少年時代実際乗車するにしても、まず「妄想学習」が必須だったのだ。たとえば1年ぶりに新しい時刻表を新調し、まず巻末の食堂車案内に目を通し、帝国ホテル都ホテル等それぞれのメニューをチェックするのである。自分がなんとなく帝国ホテルという名前に惹かれ、ひたすらカレーライスセットを妄想するのである。そして年末名古屋に帰省するとき必ず、ひかり号の番号をオヤジに指定するのである。「お父さんからなずひかり40号に予約してね!絶対だよ!!」という具合である。かなり狂った少年であった。号車によって、乗車するレストランが異なるため、予め時刻表で帝国ホテルが乗車している新幹線をチェックする必要がある。子供が親に電車を指定するとは一体何様!?だと思われるかもしれないが、これは当人にとっては死線をさ迷うような死活問題なのである。それをやったからこそ食堂車で銀製の器でルーとライスで盛られたスペシャルな帝国カレーとご対面できるのだから、感慨ひとしおなのである。健常者が食堂車を利用するプロセスとマニアのプロセスと根本的に異なることをここで力説しておきたい。
時刻表を語らずして鉄道語るべからずである。