僕の中には「ゴリオ爺さん」「幻滅」「遊女盛衰記}は人間喜
劇の中でも特に「人間の坩堝パリの3部作」だという認識があ
る。「ゴリオ爺さん}を書き上げた夜、人物再出という手法が
頭にひらめいたバルザックは、この「幻滅」において遺憾なく
その手法を駆使して、騒然としたパリのジャーナリズムの世界
を描いた。この大作は「ゴリオ爺さん」完成直後の1835年
に書き始められたうえに、バルザック自身が渦中に身を置いて
いるジャーナリズム界を描いたのだから、彼のペンに一段と熱
がこもっているのは当然のことである。
主人公リュシアンはパリより南方の地方都市アングレームから
パリへ出て来た美貌の詩人である。家は貧しいが才知と美貌に
恵まれた若者といえば「赤と黒」のあのジュリアン・ソレルが
連想されるが、リュシアンの美貌は恐らくそれを上回っている
だろう。唯リュシアンにはジュリアン・ソレルのような強い意
志力がなく、虚栄心、驕り、意志薄弱、短気など、まるで弱い
性格の集大成といった感すらある若者なのだ。
リュシアンは詩集「ひなぎく」と歴史小説「シャルル5世・・」
の原稿を懐にしてパリへ乗り込むのだが、どこの出版社からも
相手にされず、貧乏に苦しみながらのパリ滞在となったのだが
、実はまだ純粋な気持ちを失っていなかったこの2、3ヶ月が
思い返せば、彼にとっての若者らしい青春の日々だったのだ。
この時期に彼はセナクルという思想、芸術、哲学を追求し語り
合う優れた若者達の集まりに参加する。一方、安食堂でよく出
会ったジャーナリストのエチエンヌ・ルストーとも親しくなっ
た。理想主義集団のセナクルとやや崩れた感じのジャーナリス
ト、ルストー。本来が怠惰なリュシアンは次第にルストーとの
付き合いの方に傾いてゆく。リュシアンは新聞の小さなコラム
に記事を書く機会を得て、その日たまたま訪れた劇場の楽屋裏
の光景を斬新な筆致でレポートした。かくして彼はジャーナリ
ストの地位を獲得し、目先の稼ぎの目途がつき、理想主義集団
セナクルからは益々足が遠退くこととなった。リュシアンの記
事は中傷記事において最も冴えわたる類のものである。こうし
た類の常として最初の衝撃で人々を感嘆させるのだが、繰り返
しているうちに段々と飽きられてくる。本人が気がついた時は
、もう流行の外にいたということになるのである。中傷をこと
としてきただけに、流行らないだけでなく、憎まれ嫌われてい
る。それでも華やかな流行の中にいたいリュシアンは豪奢な見
せかけのためにも多大な金を必要とする。故郷に無心するだけ
では足りず、自ら振り出した手形に義理の兄弟ダヴィッド・セ
シャールの署名を偽造してまで3千フランの金を調達する。馬
鹿なリュシアンは詐欺行為をするまでに落ちぶれてしまった。
この大作は3部から成り、第1部はリュシアンが文学愛好家の
バルジュトン夫人の愛人となって、2人でアングレームからパ
リへ出奔するまでが描かれている。第2部ではパリに着いてか
らバルジュトン夫人に捨てられたリュシアンの苦闘が書かれて
いる。第3部は落ちぶれたリュシアンが故郷アングレームに辿
り着く一方、リュシアンが振り出した偽造手形のせいで投獄さ
れてしまう義兄弟ダヴィッド・セシャールとその妻エーヴ(
リュシアンの妹)の苦しみが描かれる。
リュシアンとは何なのか? 虚栄心の塊のような馬鹿野郎だ。
周りの人にとって災厄そのものである。大阪人風に言えば、
「奴の美貌なんか屁の突っ張りにもならへん!」ということに
なる。
ともあれ、小説の主人公としては美貌と馬鹿のかい離の激しさ
が何よりも興味深く、人間の坩堝パリでもがきまわるリュシア
ンを描いたこの小説の第2部は人間喜劇の中でも白眉であると
言えるだろう。
第3部でリュシアンの出番は減ってしまうが、自殺を仄めかす
手紙を残して再び故郷を後にしたリュシアンは道中で馬車に乗
ったスペイン人牧師に声をかけられる。この牧師こそ「ゴリオ
爺さん」に登場した悪党ヴォートランの変身した姿であった。
今はカルロス・エレーラと名乗る謎の牧師はリュシアンの弱い
心を見透かしたように彼を誘惑する。リュシアンは牧師がちら
りと見せた金貨の山に目が眩み、悪の匂いに気づきながらも、
この牧師について行く。リュシアンがその後辿った運命は「遊
女盛衰記」に語り継がれてゆく。