六花チヨさん、お疲れ様でした。「男でも女でもない性」といわれる「インターセックス」(昔は「半陰陽」と呼ばれ、近年「性分化疾患」と呼ばれるようにもなった)をテーマとした漫画作品『IS』の、完結編。
当初はこんなにまで続くとは誰も予想していなかったのではないだろうか。作者ご本人もおっしゃっているように、「重いテーマ」であるし、漫画、いやマンガとしてエンターテインメント性を失わずに描き続けるのは並大抵の努力じゃできなかっただろうと思う。
それが、読者からの強い反響、当事者からの持続的な協力、そうして何よりも作者の当事者に対する共感……とばかりは言えないだろうけれど深い思いによって、この作品は単に「そういう人がいるんだって」という「紹介」にとどまらない、奥行きの深い作品となったのではないだろうか。
その奥行きの深さゆえに波紋も広げていることと思う。作品のタイトルは『IS』だけれど、現実に自分のことをそのように呼んだり認識している当事者はいるのか。「当事者」と簡単にくくってしまうにはあまりにも多様な、個別の「疾患」あるいは「遺伝的個性」なりのあり方、そうしてその一つを抱えた一人ひとりの人の、生き方。
過去の歴史の中ではとても冷たい扱いを受けてきた経緯もある。差別は今でも根強く残っている。「子孫を残せない性」として、存在そのものの「意味」「価値」が問われ、揺らいでしまうこともあるだろう。
ここ数十年、やっと「医療の対象」として扱われるようにはなってきた。しかし、その医療でさえも個々の医療当事者の中で秘匿されてしまう傾向があり、ガイドラインのようなものがかすかに見えてきたのはようやくここ数年の間のことだ。
そのような問題に対して、エンターテインメントとして切り込む(恋愛の悩み、友情、家族など当事者でなくても共感できる要素を多く盛り込む)ことによって、最新の状況とはいえ今度は「医療の問題」という枠組みだけに押し込まれそうになっている彼ら「IS」(としかわたしには呼べない)の存在を、「生き方の問題」として捉えようとし、初めての試み故の限界は抱えつつも一定の「答え」を表現したことは、歴史的な意義があること、と思う。
この作品が投げかけている問いかけは、「IS」の当事者だけのものではないと思う。
「子を産み育てる」ということを当然のこととして疑うことすらもしない、典型的な「男」「女」といった性別を持つ多くの人たちに対しても、性別というものを絶対的なものではなく相対的なものと見る視点を持つきっかけを作ってくれると思う。
どうか「他人事」と思わずに読んでもらいたい、と思う。
(このレビューを書いているわたしは「当事者」ではありません)