小室哲哉がアメリカに拠点を移して気づいたのは、日本では意識することの少ないマイノリティの社会的な位置づけの大きさであった。その中でも、強固な同族ネットワークを持つ中華系と、メジャーシーンでも大きな存在となっていたヒスパニックについて考えることが、避けられなくなっていた。
白人のロック、黒人のファンクに日本人としていかに迫って行くかを考えていればよかった時代、坩堝論で捉えられていたかつてのアメリカと異なり、サラダボウルのように多種多様な文化が共存するアメリカ社会に直面して、無邪気な夢はある種挫折したのだろう。
そんな折、国連薬物統制計画(UNDCP)の親善大使に就任した小室哲哉が提示したのは、ヒスパニックを意識したラテンナンバーであった。リッキー・マーティンの「カップ・オブ・ライフ」が1998年にワールドカップ公式テーマ曲になったことが影響しているだろう。
サッカーでは、多種多様な民族が同じチームでプレイし、それぞれの文化から来るプレイスタイルが影響し合って強いチームが作られている。
それと同じように、音楽の世界でも様々なジャンルが影響し合ったマッシヴなサウンドが作れるのではないか。小室の新たな方向性がこの楽曲で提示された。
Bob Brockmanによるミックスは、都会の抱える華やかさと郷愁を同居させ、重量感のあるキックとシーラEによるパーカッションが、サウンドに大きなうねりを与えている。
英語、中国語、スペイン語、日本語のヴァージョンが作られ、それぞれのヴァージョンをミックスしたHybrid Mixも作られた。Hybrid Mixが一般に発売されることはなかったが、ここに、音楽業界の抱える旧態然とした閉鎖性を感じる人もいれば、この作品自体が既存のファンを無視した音楽であると感じた人もいるだろう。
しかし、この曲や安室奈美恵などの楽曲でシーラEとともに小室哲哉が提示したラテン曲は、ポップスの新しい可能性を示していたと思う。