Fred Perry(フレッドペリー)

Fred Perry
(フレッドペリー)

Fred Perry(フレッドペリー)
 
 

Fred Perry(フレッドペリー) ブランドストーリー

『FRED PERRY(フレッドペリー)』のブランド名は、創始者であるフレデリック・ジョン・ペリーから来ています。
フレッドペリーは超一流テニスプレイヤーであると同時に、ベストドレッサーとしても認められていました。テニスを引退後、フレッドペリースポーツウェアが事業として開始される事になり、ウィンブルドンのロゴでもある月桂樹マークの使用許可を正式に得、1952年英国ロンドンでフレッドペリースポーツウェア社を設立。日本では1970年に初めて上陸し、2012年には事業開始から記念すべき60周年を迎えました。
今日では、イングリッシュヘリテージに上質感と上品さをプラスしたLuxury English Styleのニッチなブランドを目指しています。

フレッドペリーブランド沿革

テニス界の英雄“フレデリック・ジョン・ペリー”
フレッドペリーブランドの創設者フレデリック・ジョン・ペリーは、偉大なテニスプレイヤーであった。英国で生まれ育ち、1930年に英国で開催されたテニス大会の最高峰「ウインブルドン大会」(全英)にチャレンジし、いきなりベスト16入りした。1933年には全米選手権(現USオープン)で初のシングルス優勝、1934年にはついに英国人で初めてウインブルドン大会でシングルス優勝、この後1935・36年にも優勝し、前人未到の3連覇を達成した。1934年には全豪大会、1935年には全仏大会においてもシングルス優勝を飾り、テニスをはじめてわずかの間にグランドスラム(世界四大大会優勝)を達成。テニス界に一躍名を轟かせた。

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フレッドペリースポーツウェア事業の開始
超一流のテニスプレイヤーとして認められていただけでなく、同時にそのしゃれたスタイルからベストドレッサーとしても認められていたフレデリック・ジョン・ペリー。彼は引退後の1940年代後半、当時あまり優れていたとは言えなかったスウェットバンド(リストバンド)の開発を、彼の愛称“フレッドペリー”の名を入れてスタートさせた。努力のかいあって、そのスウェットバンドは軽く柔らかくしなやかな商品として開発することができた。テニスのトッププレイヤーたちが使用し、フレッドペリースポーツウェアが事業として開始されることになった。

ベストドレッサーとしても認知されていた彼がこれにとどまらず、シャツの製造を開始したことはごく自然な流れであった。この時はじめて正式にウインブルドンから許可を得、今日にも継承される月桂樹のマークが誕生することとなった。

そして1952年、英国ロンドンでフレッドペリースポーツウェア社を設立させた。

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フィットするフレッドペリーシャツ
シャツは体にフィットするシルエットのものを製造した。だぶだぶのシャツが溢れていたこの時代のテニスウェアに対し、体にフィットするシャツは革新的でカッコ良く、多くのテニスプレイヤーから重宝がられた。自らもテニス実況解説時にシャツを着用し、積極的な広告活動を行った。「月桂樹=世界最高のテニストーナメント・プレイヤー」とのイメージが確立し、人々はこぞってフレッドペリーのシャツを求めるようになった。

その後もウインブルドン大会がテレビで放送され、シャツの問い合わせはますます増えた。英国国内大手のスポーツショップが取り扱い、話題が話題を呼び、フレッドペリーのシャツはいつしかスポーツブランドとして確立していくことになった。
「女王様、このシャツはフィットするのです。」
この言葉はウインブルドン開会式に来賓として招かれた、かのエリザベス女王がフレデリック・ジョン・ペリーに対し、「フレッドペリーのシャツは、ほかのシャツよりどの点で優れているのですか?」という問いに対する彼の自信に満ちた返答である。エリザベス女王が話題にする程、フレッドペリーのシャツは英国で浸透していった

カーナビーストリートからの発信
事業が大きくなると、必然的にシャツのバリエーションが検討されるようになった。まずホワイトが主流のシャツにカラーバージョンが誕生し、そして襟にラインの入ったタイプも誕生した。このことがフレッドペリーのその後を大きく変えることになった。1960年代当時“モッズ”と呼ばれていた英国の若者文化はファッション・カルチャーの最先端であり、その動向は世界中の若者に大きく影響を与えていた。ブーツにジーンズ、細身の三つ釦スーツやジャケットをはおり、インナーにフレッドペリーシャツをトップボタンまで締めて着る、というスタイルが彼らの間で流行した。テニスシャツとして充実した機能性とバリエーションを持ったフレッドペリーシャツは、彼らのニーズに見事にフィットした。このようなファッションはロンドンにある若者ファッションの代名詞カーナビーストリートから、世界中に波及していったことはあまりにも有名であり、ビートルズやThe Jam、日本ではGSブームに反映されていった。
このようにしてフレッドペリーはスポーツウェアとして、またファッションアイテムとして、双方から認められるは じめてのクロスオーバーブランドとして確立することができた。

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日本でのフレッドペリー
日本においては1970年にはじめてフレッドペリーが上陸。「ウインブルドンの名品・日本に上陸 … 胸に輝く栄光の16葉」をキャッチフレーズに、白を基調とした気品あるテニスウェアとして広く認知された。1972年にはデビスカップ日本チームの公式ユニフォーム、1976年からはフレッドペリージャパンオープンとして国際テニス大会を開催するなど、テニスブランドとして確固たる地位を築いた。

そしてポロシャツブーム。1980年代から1990年代前半にかけて若者を中心に、月桂樹のワンポイントの半袖ポロシャツが何度かブームとなり、1990年代半ばからはスポーツカジュアルウェアとして、テニスだけでなくトータルスポーツファッションを目指した。

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ヴィンテージ・ファッションの隆盛
昨今の若者のファッションスタイルは流行の移り変りが激しい。が、ヴィンテージファッションはある種カルチャーとして定着していることは世界共通言える。そのような中で、英国では1999年にロンドン・コベントガーデン、2000年にマンチェスターにフレッドペリーショップがオープンした。レトロスポーツ感覚のアイテムが、ヴィンテージ志向の強い若者が求める需要を満たし、英国でフレッドペリーはヴィンテージファッションブランドとして改めて注目されるようになった。

日本においても、若者のヴィンテージ志向は近年定着している。このような背景の中、フレッドペリー・ヴィンテージポロシャツが日本で復刻版(MADE IN ENGLAND)としてインポート発売された。1960年代モッズたちに愛されていたフレッドペリーポロシャツを、素材感・タグ・ロゴマーク・シルエットなどを当時そのままリアルに復元。日本でも時代の流れに合わせ、当然のことのように若者に受け入れられた。ポロシャツに次いでジャージなども発売され、現在では商品構成において世界戦略のもとに、ワールドワイドな商品を世界中で同時に展開している。

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2012年、フレッドペリーは事業開始から幾多の変遷をへて、記念すべき60周年を迎えた。