この柳瀬訳の解説としては、筒井康隆の以下の説明が的を得ているだろう。
「たとえばジョイスはトリスタンとイゾルデのTristanを逆に綴ってnatsirtということばを作る。するとドイツ語のNachtに似た北欧語のnatは夜だからナイトシャツになる。そこで柳瀬氏はトリスタンを逆にし、「あんたすりとりかえた寝ジャマ姿」と翻訳する。」(以上、本書の折込冊子より。「んたすりと」がトリスタンの逆表記になっていることに注意。)
こうして「ウェイク語」が「柳瀬語」に翻訳されていくと、例えば、この小説の冒頭は、以下のようになる。「川走、イブとアダム礼拝亭を過ぎ、く寝る岸辺から輪ん曲する湾へ、今も度失せぬ巡り路を媚行し、巡り戻るは栄地四囲委蛇たるホウス城とその周円。」
この上巻だけでこんな文が400ページ、何の解説も無く続く。この上巻の中古価格が悲惨な理由は、この言語実験の極北にある小説をさらに独自の日本語で翻訳するという二重の実験に対して、「読破しよう」と試みて散っていった読者達の怨念である(笑)。僕自身、入手してから10年、何度も途中で挫折して今やっと上巻を読破した。
本気で挑戦しようという人は、宮田恭子氏による「妙訳」版(集英社)と併読することを強く勧める。「ウェイク語」に込められた膨大な固有名詞と、粗筋(らしきもの)の解説を少しづつ読みながら、柳瀬訳で同じ箇所を読み直す。その時は、是非音読してほしい。常用漢字を含む全ての漢字に振り仮名が振ってある理由が分かるはずだ。漢字仮名混じり文で表記されながら英語の音を当てたり、近世の世話物のような言葉のリズムを作ったり、色々と工夫がしてあることが感じられたら、その後の読書体験が少し楽になるだろう。そして、宮田訳の方が遥かに原書の「意味」に忠実なのに、エクリチュールとしては柳瀬訳で書かれた「言葉」の方が優れているという、面白いことにも気づくはずだ。この「表記された文字」「意味」「音(エクリチュール)」のズレがジョイスの試みた実験(の一部)なのであり、そういう意味では、一見意味がさっぱり分からない柳瀬訳のスタイルはやはり「忠実な翻訳」ではあるのだ。
翻訳に文句を言ってる人は、まず、「フィネガンズ・ウェイク」という「最終小説」に対する覚悟が足りなかったんじゃないかな。