フィオナ・アップルほどクソまじめにラブ・ソングを歌う女性はいないと思う。それはもう知り合いにこんな恋愛感の女の子がいたら、お付き合いを積極的に避けたいぐらいに重苦しいものであるのだが、96年に『Tidal』でデビューした彼女が世界中で即座に高い評価を得たのは、19歳という若さでそのあきれるほどの重苦しい規格外ラブ・ソングを見事に歌い上げたからなのだ。そのあまりにも戦慄だったデビューから9年、前作『真実』(99年)から6年という長いブランクを経て05年に発表されたサード・アルバムである本作でも、彼女は相変わらず自らの傷口に塩を撒くような苛虐性に満ち溢れたラブ・ソングを貫き通している。たとえこのアルバムが「ジョン・ブライオンを救うため」というこれまでと違う立脚点の基に成り立った作品であったとしても、それはデビュー当時から一貫されてきた彼女の揺るぎないスタンスなのだ。
サウンド面に触れるならば、『真実』で完璧に打ち出されたピアノ主体で多分にジャズ的要素を含んだ楽曲構成の踏襲である。前作に比べればやや軽妙な調子の楽曲が多い気がするが、ピアノの音と共に叩きつけられるメッセージはやはり強烈である。視界をさえぎる薄汚れたガラス窓を叩き割り、そうすることで目の前に引きずり出される愛する人の欺瞞や裏切り。ガラスを割ったその腕から血が滴り落ちたとしても、それこそが私の愛の滴なのよと歌い、愛する人に絶望を感じながらも、それでも愛を捧げ続ける彼女の存在はデビュー当時のような衝撃性はもはやないにしても未だ新鮮である。キレイな言葉で飾り立てられた生易しいラブ・ソングを聴いて幸せぶるのにはウンザリだ。僕は、なぜ男が愛する人にダイアモンドをプレゼントするのかがどうしても理解できないこの「エクストラオーディナリー」な女性の、血の滴り落ちるラブ・ソングを支持する。