1979年1月13日、偉大なソウルの神さまが死んだ。Donny Hathawayはシカゴ・ソウルのスーパースターである。名曲中の名曲「The Ghetto」を知らないアメリカの黒人はいるだろうか。ヒップホップのスーパーディーヴァ、Lauryn HillはDonny Hathawayの影響をもろに受けているし、それはD'Angeloにも同じことが言えるのである。つまり、Donnyの放ったソウルはネオ・ソウルに直結する、音楽と音楽とのつながりの隙間に生きた新しい音楽だったのである。
確かにDonnyは異質である。Donnyはブラック・ゴスペルやMuddy Watersらに見られるシカゴ・ブルースの影響のもとにあるにはあるのだが、シカゴ・ソウルの域を超えた独創性というものを備えている。その点で異質なのである。
Donnyの信者はかなり多い。ハマればどっぷりというタイプの音楽家であるし、天才であることは誰も否定もできないのではないか。どこか暗雲ただよう雰囲気をもったシンガーである。
アルバム『Everything Is Everything』は端的な例である。
タイトルトラック「Voices Inside(Everything Is Everything)」は陽気だが、アルバムを支配する空気は濃くて苦いブラック味のチョコレイトに似ている。
Donnyは少ない仕事のなかで大きな功績を残した数少ないアーティストの1人である。Robert Johnsonを否定しようがないのと同じように、Donnyを否定しようとしてもムダだ。ブラックミュージックを語る上で、Stevie Wonderとは違った角度からソウルと向き合った歌手として、彼は必ず名前の挙がる音楽家なのだ。その独自の唱法もさることながら、(僕は)彼の音楽センスはたぐいまれなものだと思っている。
たとえば「Sugar Lee」はストリートのセンスを取り入れて作られている新しいトラックだし、タフな音を鳴らす「Tryin Times」は一言傑作だ。作曲センスと歌唱センスのふたつを併せ持つのはたいへん難しい。Donnyはその難しい例だ。
DonnyはStevie Wonderと比較されるが、たとえばふたつのステージがあって、Stevieが「Higher Ground」を唄っているとき、いっぽう別のステージでDonnyが「Thank You Master (For My Soul)」を唄っていたら、僕はStevieではなくDonnyのステージに行ってしまうのだ。もちろん、尊敬という意味ではStevieのほうがずっと上だし、「Living for the City」だったら、僕はStevieのステージにいるかもしれない。ただ、Donnyが作曲したもののなかに生きているソウルを感じることはたやすい。
Stevieが「Living for the City」でやってのけたことを、Donnyはこのアルバムで成し遂げることに成功している。躍動感があり、暗闇のある、ブラック・ソウルともいうべき偉大な音楽を。
「The Ghetto」は「Living...」に勝るとも劣らない名曲だ。その奥深さは「The Ghetto」が一歩勝っているかもしれない。アルバム中の白眉は「The Ghetto」にゆずったとして、僕のお気に入りは「To Be Young, Gifted and Black」である。見事な歌唱力を見せつけたトラックで、本人作曲ではないから、なおさら驚きだ。
いまやアルバムの全曲がクラシックだ。
Donny Hathawayは永久に忘れられないものを僕たちの頭の中に残していった。それがいま僕の頭で蠢いて、ちくちく脳髄を刺激する。『Everything Is Everything』とはそういうアルバムなのである。