これは単なる日本の戦後史の概説でも、アメリカの占領、統治政策の断面でもない。著者の視線はどこまでも低く、さまざまな庶民の具体的な姿を通して、混乱期の日本社会と占領政策の実相が浮き彫りにされる。引き上げ者、闇市に集まる人々、夜の女、孤児…。両親や祖父母がくぐり抜けてきた時代であり、日本人にとって個々には聞いたり読んだりして知っている民族的体験だが、これが広い脈絡の中に位置づけられることで、それまで気づかなかった政治、社会、文化的意味合いが明確になる。
たとえばパンパンと呼ばれた米兵を相手にする夜の女たち。過去の日本は、外国との文化交流は上層エリート層から垂直に浸透したが、タバコ、ストッキング、化粧品とアメリカ的消費文化を先駆的に受容したパンパンは、それまでなかった水平的な西洋化という文化交流の象徴となった、と著者は言う。また占領軍の白人至上主義も著者は見逃さない。ドイツのナチズムは、成熟した西欧社会にできたガンだが、日本社会は本来的にガン体質で、未開の野蛮なものと認識されていた。アメリカの義務はその遅れた日本人を文明化することで、そこには民族的優越意識に基づく宣教師の情熱があったと指摘する。
ある国の学者が日本の歴史書を書いても、それはまず当の国の人々に向けてであって、日本人を満足させるものは少ない。しかし本書のような優れた著作に出あうと、既定のものとしていた日本の戦後史が異なる相貌をもって立ち上がる。日本の基点となった時代を違った視点で、より相対化して見る意味からも必読の書といえよう。(西川 恵) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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同じ素材で全く異なる歴史が書かれることもありうる。
本書の良いところは「戦後混乱期」という言葉に象徴される
「戦争に負け,荒廃し,何でもありだった」というステレオタイプを
覆す記載が随所に見られることである。これは,私のような高度
成長期に子供時代を過ごした者にとっては新鮮だった。
どのような感想を持つにせよ,一読の価値はあると思う。
しかし、このアメリカ有数の歴史家は、日本人たちの敗北の受けとめ方と対応が単純であったとはいわない。敗北を恥じ、皇居の前で天皇にひざまずく民衆の姿がみられれば、同じく皇居の間近で終戦を喜ぶ人々の歓声があがっていた。各章では具体的に、占領軍が行った統治、日本のエリートの思惑、民衆の対抗文化やカストリ文化、知識人の退廃主義やデカダンスを通して、人々が敗北をどうみて、どう感じたのか、多様で複雑なその姿を、慎重に、ヒューマニスティックに語っていく。
戦後占領下の日本社会は、文化、人種、民族、性差、階級などによってさまざまな「我々」と「他者」に分割され、他者の間の交渉と相互の影響のなかで成り立っていた。筆者はつねにそれを意識し、複数の視点から、できる限り包括的に「敗北を抱きしめて」生きようとした人々の姿を描き出している。
本書を読みながら、「私たち日本人は「アメリカ」をダワーにおける「日本」のように理解できているだろうか」と思わずにはいられなかった。本書は、グローバル化が声高に叫ばれる現代において、ますます必要になる「他者」理解の方法を示してもくれるだろう。少なくとも、敗戦を「終戦」と呼び代えなければならない私たちに、斬新で深みのある理解を提供してくれることは間違いない。
あの戦いにもう一度正面から向き合い、あの戦いは何だったのか、そしてそこから学ぶべきことは何なのかを考えるとき、お勧めする1冊です。
(この本を読まれる前に、「容赦なき戦争~太平洋戦争における人種差別」を一読させることをお勧めします)
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