ホッパーを描いたカリカチュアを見たことがある。やせて神経質そうな少年が分厚い本を二冊抱えているもので、一冊にはフロイト、もう一冊にはユングと書いてあった。
大都会の孤独。かれの作品を見るものは誰しもそれを感じとるだろう。複数の人間が描かれた作品でさえ、そこに「会話」がないものが多い。歴史もなく、風土もなく、絆もなく、分断された「個」となってしまった人間たち。お洒落なティールームの中で、開放的なモーテルのソファの上で、ピアノのあるリビングで、かれらは満たされない表情をして黙っている。風景を描いても同じだ。灯台も、ビルも、ガソリンスタンドも、ドラッグストアも、トンネルも、深い孤独と空虚感をただよわせる。
20世紀前半の米国の姿は、今や他国の話でも過去の話でもない。何もかも手に入れたはずの文明生活。しかし何かが失われている。欲望を原動力として突き進んできた資本制社会。大量消費社会。はたしてそれは正しいものだったのか。つき動かされてきたものからふと我にかえったとき、わたしたちもかれらのような表情を浮かべてしまうのではないか。…怖い作品たちである。