通読するのに2時間もあればよい、短いおはなしだ。
けれど、ここで語られた事は優れた文学や優れた哲学に匹敵する力を持って、読者に迫ってくる。
筆者が体験し、実在の人物たちと紡ぎ上げた物語である。
女性がたったひとりで渋谷の宮下公園にテントをはって暮らす。
こう聞いたとき、驚き、自分なら到底無理だと、女性ならではの身の危険も思って身震いした。
どんな暮らしなのか想像がつかなかった。
だから、この本を手に取った。
テント村に住み始めたいちむらさんは、同じくテント暮らしをするカッコイイ女性を見かける。
私たちもふだん、街の雑踏で、職場の同じフロアで、思わず目が止まってしまう魅力的な人を見かけることがある。
誰もが認める美人とか満場一致のオシャレさと言う訳ではないけど、惹かれるものを感じる。
いちむらさんがキクチさんに初め感じたのも、そんな風ではなかったかと思う。
キクチさんの個性に興味を惹かれ、隣人としてつき合ううち、いちむらさんは彼女の内面をも知っていく事となる。
それは肌触りのよい、いい匂いのする物語などではない。
けれどいちむらさんの心は、キクチさんに寄り添いつづける。
キクチさんをキクチさんたらしめている魂を、いちむらさんが愛しているからだろう。
キクチさん以外にも、テント村の住人がたくさん描かれている。
仲のいいひとばかりではない。
煙たい、できれば遭遇したくないひともいる。
しかし、いちむらさんはそんなひとにも逃げたり無視せず、対イヤなひと用の対応をしながら暮らしている。
そんないちむらさんが事件に巻き込まれ、手当を受けた病院で聞いた言葉に涙を流す。
「浮浪者に殴られたんだって、恐ろしい世の中だね」
「浮浪者」=「無法者」(犯罪者により近い意味で)という図式が世間では多くの人の間で成立していると思う。
しかし村で暮らしてきたいちむらさんにとって、世間で浮浪者と位置づけられる彼らは、ひととひととの繋がりを持って共に暮らす隣人である。
名前だって個々に持っているし、生計の立て方だって様々だ。食べ物や着る物の好みだって違う。
彼女だってその村に所属する一員である。
またこの発言は、同じく本文中で出て来る「女貸せよ」という男性の発言ともリンクしている。
「浮浪者」も「女」もこの発言者の意識の中では「ひと」ではなく、勝手に作られた概念であり、個性や魂を持たない物として扱われている。
キクチさんへの手紙、という体裁をとったこの本は、自身のイデオロギーについて語ったりしない。
自身の活動についての弁明もない。
見た事、思った事を素直にキクチさんへ向けて語りかけ続ける。
文章も、美文とは言い難い。正直読みづらい箇所もある。
けれど、いちむらさんの声はストレートに読者の心に届く。
そしてそれは読者の中で、新たに物語の芽を吹く。
それこそが、いちむらみさこのアート。
そう感じられる一冊であった。
この本の前に読んだ「じぶんを切りひらくアート」では学芸員のインタビューによって、いちむらさんのアーティストとしての姿が語られている。
彼女にとってのアートとは何だろう?という事などは、こちらを読むと理解しやすいと思う。
併読をお薦めする。