復刊後4号目のエレキング。昔のエレキングは時々買っていて、三田格によるKLFやビリー・マッケンジーについての文章は今でも大事にとっていたりする。が、復刊後に手を出すのは初めて。2011年を振り返って、という企画の今号に関しても自分の守備範囲とは全く重なっていない。辛うじてジェームズ・ブレイクをYou Tubeで少し聴いたのと、相対性理論について少し言及してる箇所があったぐらいで。じゃあ何で買ったのかというと、1ページ目でいきなり2011年の日本の状況を語るにおいてザ・スミスの歌詞を引き合いに出していて、それが去年の年末くらいからひたすらスミスばかり聴いている自分とシンクロしてるように感じたからである。
とは言え、ここで野田努がやっているのは元々の曲が持つ本来の文脈の意味から切り離して我田引水するようなもので、「学校でのイジメや体罰が苦痛でとにかく逃げ出したい」という曲や「寂しさを理由に死にたいと願う人々を笑えなくなってしまった(年をとって自分にもその気持ちが身にしみて分かるようになった)」という曲の主旨が、どうフクシマ後の今の日本と関係してるというのだろう、と。あるいは「本ばかり読んで異性に相手にされない事で悩んで早く死にたいと愚痴る女の子」についての曲から、「幸せなふりをしたところで、そんなものは白痴にしか見えないだろう」という一節を抜き出して「今の日本の現実を見つめていると…(中略)重たい」と記述しているとか。それならまだチェルノブイリの事故のニュースの直後にワム!のしょうもない曲を流したラジオのDJを批判した「パニック」や、「僕達を結びつけるものが”愛”以外に存在するとしたら、それはきっと”爆弾”だろうね」と歌う「アスク」の歌詞の方が状況にフィットするだろうに、と。
自分が最近スミスばかり聴いてるのは、「誰かとつながりたいのに結局それが出来ない自分」というものと改めてきっちりと向き合う必要性を感じたからだ。それに伴ってここ二年間ばかり聴き倒してきた坂本真綾を聴いていい気分になることからは「卒業」せざるを得なくなった。だって、かつて坂本真綾を聴く度に「つながり」や「絆」を感じることの出来た身近にいる誰かさんとの関係はもう破綻してしまったから。だから、2011年に日本で起こったこととその後の状況とザ・スミスを関連づけて論じるならば、そういう「絆」によって支えられているかどうかという視点で攻めなきゃ意味がないと思う。だってそうでしょ、物質的・経済的に失うものが大きかったとしても「他者とのつながり」とか「相互支援」みたいなものがあればそこから立ち直ることはそれほど難しいことではない。でも「信頼」や「安心感」や「自分は一人じゃないという感じ」が失われてしまったらそこから立ち直るのはかなり難しい…今の日本が直面している「危機」は正にそこにあるんじゃないか、という気がしていて。だって、スミスの曲の歌詞がネガティブなのは結局「誰も自分を助けてはくれない、自分の気持ちを分かってくれる人なんて誰もいない」という所に根っこがある訳で。