オランダの女流チェリスト、キリーヌ・フィールセンによるバッハ無伴奏チェロ組曲・全曲集。2010年10月/11年3月、アムステルダムのヴァールゼ教会にてセッション録音。総収録時間58分31秒+77分58秒。
フィールセンは1972年生まれというから、アンヌ・ガスティネルとほぼ同世代。父親はロイヤル・コンセルトヘボウ管のチェリストで、彼女はその父親からのレッスンを皮切りに研鑽を積み、数々のコンペを勝ち抜いた90年代にはハインリヒ・シフの門下生であったという。
レコーディング歴も長く、91年のメジャーデビュー盤(コダーイとバルトーク集!)から既に十枚以上がディスコグラフィに刻まれている。
本作はその彼女の、おそらく録音歴20周年を記念した企画盤。さぞ満を持しての作品であろうと、こちらもつい身構えて聴いたのだが、内容はたいへん折り目正しくも正統的。
これは楽曲に対して、真摯で真っ当なアプローチをしているという意味であり、若手奏者にありがちな自己主張がほとんど感じられない。技巧レベルはもちろん高いのだが、ある面、草食的な邦人奏者の演奏を聴くようでもある。
これを「基本に忠実」とか「オーソドックス」などと評してしまうと、退屈な演奏と受け取られるかもしれない。しかし実際はそうではなく、フレーズのひとつひとつ、いやすべての音符に生気がある。鮮度の高い産直野菜を冷水にさらしたようにシャキッとした演奏、と言えば良いだろうか。
鮮度が高いという意味では、(現実にはあり得ない話だが)練達の奏者がこの譜面を初見で弾くとこうなるのでは、という印象もある。これは安定度の高さと裏腹に、弾き手固有の息づかいが希薄なためであり、奏者の中で楽曲のイメージが充分に熟成されていない、という見方もできるだろう。
だが年間に十枚ほどもリリースされるこの楽曲の新譜の多くは、もしかすると熟成され過ぎて、食べ頃を過ぎているのかもしれない。それを私たち聴き手は「歌心」や「エモーション」の言葉で片付けてはいないだろうか? そんなことを感じさせる演奏に巡り会ったのは、実に久しぶりである。
なお使用楽器はジョセフ・ガルネリ(フィリウス・アンドレア)作1715年製モダン仕様。奏法もモダンだが、アーティキュレーションはごく控えめで、近年よく聴くバロック奏法との折衷に近い。変則調弦の5番も多弦チェロ向けの6番も、この楽器で無理なく弾いている。
また本作はSACDハイブリッドであり、録音はCD層でもたいへん品位の高いもの。教会録音だが残響はほとんど収録されておらず、楽音の細部まで鮮明な、端正な音が聴ける。そのヴァールゼ教会は、先に鬼籍に入ったグスタフ・レオンハルトが、若き日にオルガン奏者を務めた場所だそうだ。