イギリスのピアニスト、ハワード・シェリー(Howard Shelley 1950-)によるムツィオ・クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832)のソナタ全集プロジェクトの第6集にして完結編。今回の収録曲はソナタト長調op.40-1、ロ短調op.40-2、ニ長調op.40-3、イ長調 op.50-1、ニ短調op.50-2、ト短調op.50-3「捨てられたディドーネ」の6曲。
私は、第5集にも賛辞に近いレビューを書いたのだけれど、この第6集もたいへん素晴らしい内容だ。私は、これらのクレメンティのソナタ群が、ハイドンやモーツァルトのピアノソナタを凌駕し、ベートーヴェンに匹敵するクオリティーを誇るものだと考えているけれど、なぜか世間的な評価はいまひとつで、それどころか「現代ピアノによるまとまった曲数の録音」ですらなかなか見つけられないという状況に、大いに不満を感じていた。そのような背景にあって、このシェリーによる全集の登場は、まさに溜飲を下げる思いに満ちた、快哉を送りたくなるものだ。
今回収録されたのはクレメンティの完成期とも言えるop.40とop.50の作品群である。ただ、ひとまとめに完成期とはいっても、op.40が出版されたのが1802年、(第5集に収録されていた)ソナタ変ロ長調op.46が1820年、そしてop.50が1821年ということで、op.40と46の間には18年のタイムスパンがある。その間ソナタの作曲から離れたクレメンティの思索を想像すると、ひと括りに「完成期」とは呼べないのかもしれない。参考までに書くと、ベートーヴェンの熱情ソナタの出版が1807年になる。クレメンティもどこかでこの傑作ソナタを聴いたに違いない。それはおいておくとして、収録されたソナタはいずれも充実した出来栄えであることから、「完成期」の作品と言わせていただきたい。ピアノという鍵盤楽器の性能限界を追求し続けたクレメンティの集大成として、聴き応え満点だ。
私は先に「ハイドンやモーツァルトのピアノソナタを凌駕し」と書いたけど、その根拠を説明しよう。私が高く評価したいのはクレメンティのソナタのドラマティックな要素である。効果的な倍音の使用、序奏と展開部の劇的な対比、果敢で急激な展開力。それらは、聴き手に「ピアニスティックな激しさ」として伝わる。かつ、その激しさが、ソナタとしての論理的な構築に鮮やかに収まっていて、パチンとすべてのパズルピースが嵌るかのように終結する完成度の高さを感じさせる。まさにピアノソナタの王道といえる作品群だと思う。イタリアは、クレメンティほどの作曲家を擁しながら、なぜこの分野の後継といえる人物が登場しなかったのだろうか。残念な話に思う。
ト長調op.40-1のソナタは第1楽章のお洒落な主題と適度な幅のある展開の妙が見事。クレメンティにしか書けえない存分な魅力のある音楽。ニ短調op.50-2はまさに疾風怒濤の音楽で、ト短調op.34-2を髣髴とさせる。1楽章終結部の情熱的なエンディングは、「ベートーヴェンと双璧」と言えるパッションを提示している。また、ロ短調op.40-2も同じ傾向の作品と言えるだろう。先に書いたが、このソナタの出版は熱情ソナタに5年先んじている。クレメンティのソナタを評価していた楽聖ベートーヴェンが、このソナタを聴くことでなんらかの作曲意欲として感化されたことはおおいにありうるだろう。また、ベートーヴェンを聴いてクレメンティもまた新たな作曲意欲を刺激されたに違いない。シェリーの果敢なタッチによるアプローチは、そんな想像をかきたててやまない。