シエピ30代前半の歌唱が堪能できるアリア集。録音データを見ると1954年8月となっているので、彼は当時弱冠31歳であったにも拘らずその声と唱法が既に成熟しているのに驚かされる。彼の舞台での当たり役だったヴェルディのオペラの登場人物ではバス歌手の模範になるような究極的なキャラクターを創り上げている。一方でマイヤーベーヤの『ユグノー教徒』で長く引き伸ばす低いCの音は彼にとってはご愛嬌なのかもしれないが、私がLPで初めて聴いた学生時代には仰天したものだ。指揮者アルベルト・エレーデは欧米のオペラ畑を専門に歩んだ人で、歌手の声を活かすことにかけては天下一品の腕を持っていた。それはイタリア人指揮者の伝統的なスタイルでもあり、オーケストラが歌にぴったりと寄り添うように、しかし決して歌を妨げないように付いて行くことが要求される。指揮者が歌手を将棋の駒のように使いこなし、スタンド・プレイを許さない現在のオペラでは得がたい存在だ。またこうした技に手馴れたサンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団の伴奏も秀逸。
チェーザレ・シエピ(1923-2010)がフルトヴェングラーに理想的なドン・ジョヴァンニ歌いとして、その美声と演技を認められたことは周知のとおりだ。彼は典型的なイタリアのバスで、明るく柔軟な発声と深々とした豊かな声を武器に、磨き上げた高貴なカンタービレを駆使して、苦悩に苛まれ、宿命に葛藤する主人公、いわゆるバッソ・セリオの役柄を得意としたが、彼はまたオペラだけではなく、歌曲や宗教曲、さらにはミュージカルからポピュラー・ソングにも精通していた為に、こうしたレパートリーの録音も少なからず残している。また低い声の性質上オペラ歌手としては非常に長命を保った人で、41年デビュー以来89年まで公の舞台に立ち続けたし、そのスタイリッシュで知的な歌唱は晩年まで衰えをみせなかった。
初出時のLPジャケットのデザインと曲目をそのままCD化したもので、収録時間は短いがオリジナル・コレクションとしての趣向を凝らしている。1954年のモノラル録音だが音質は良好で、特に声の響きは明瞭に採られていて充分鑑賞に堪えるものだ。