Cubeはフーコーがいうところの「権力」を表している(と思う)。我々は自由を求めてCube(権力)の外(権力がない世界)に出ようとするが果たしてそれは可能なのか?そして、それは幸せなことなのか?
フーコーの影響を受けた映画といえば「時計仕掛けのオレンジ」という映画が思い浮かぶが、この映画は更に奥が深いように感じられる(ただし私は時計仕掛けのオレンジも理解できてはいないが)。どこまで監督が意図しているのかわからないが、注意深く見てみると一切の無駄を省いて、映像のほとんどすべてに意味があるような気になってくる。
例えば登場人物のメンバーにしても次のようには考えられないだろうか?Cubeを国家権力の象徴と考えるリベラル(女医)、それを政府陰謀説と一笑に付すコンサバ(警官)、Cubeの意味なんて興味がない、ただ脱出することだけに集中する社会の逸脱者(脱獄のプロ)、Cubeの意味よりも、そこに隠された法則の解明に情熱を燃やす科学者(数学科の少女)、Cubeからの脱出などに興味のない無気力な会社員、そして傲慢な「正常者」達によって形成されている「社会」から排除されている精神障害の青年。
会社員は言う。Cubeは誰が何の目的で造ったのかなんて誰も知らない。ただ多くの人が部分的に造っていたら、いつの間にか出来てあがっていた。フーコーによれば「権力」とはそういうものであるらしい。そこには意味も目的もない。その権力を行使する者は存在しない。我々が知らぬ間に作り出し、そしてそれによって我々は規制される。我々がこの世に生まれた時にはすでにこのような「権力」に縛られた社会にいた。それだけのことである。自由を求めてCubeの外に出ることが本当に幸せなことなのか、それとも不幸なことなのかもわからない。しかしもしも出ることが出来るとすればそれはやはり。。。
私はフーコーについて詳しく知っているわけではないが、おそらくフーコーを読んでからこの映画を見ると更に楽しめるのではないかと思う。