本書では法律や条令、行政指導といったものだけではなく、人のふるまいに影響を及ぼすすべてのことを「規制」と定義づけており、それらはインターネットの規制を考えるうえで重要だとしている。また本書の規制に対する関心は、目先の規制をどうやってかわすかや現状の規制にどう収まるかというような今日や明日の話にはなく、もっと根底の深い部分にある。我々がもっている規制の総体について注目し、さらにその総体がインターネットの導入によってどう変わり、今後インターネットが大きく変化していくなかで総体がどう変化を遂げるかという点について大きな関心を寄せている。「ショッピングサイトを立ち上げるときに気をつけておかなければならない法律的な知識が知りたい」といった手軽なあんちょこ的な内容を期待する人よりは、広く深くインターネットの規制について考えたい人におすすめしたい。(近藤大介)
(日経NETWORK 2001/09/01 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
登録情報
|
しかし、オンライン上では違う。オンラインでの我々は、コンピュータやネットワークの構成・設計、それらについての思想である「アーキテクチャ」が許す範囲でしか、そもそも行動することができない。「アーキテクチャ」が認証を求めるなら認証をクリアせねばならない。「アーキテクチャ」が匿名を認めないのなら従わねばならない。そうしなければ、オンラインでは何もできないのだ。
法は、特に憲法という「コード」は、暴走するICT市場が勝手に引きずっていく「アーキテクチャ」、そしてそれらを構成する「コード」に対して何ができるのだろうか。経営学、経済学、哲学、法学の学位を持つ新シカゴ学派の憲法学者、ローレンス・レッシグ会心の一冊であろう。
これを読まずして情報社会を語るなかれ。
1. サイバー空間において自由を確保するということは政府の関与を排除することだという定説めいた主張があるが、それはまったくの間違いだ。
2. サイバー空間において自由の広狭・内容を規定するのは「コード」だ。どのようなコードを採用するかによって私たちの自由は守られもするし、危険にさらされもする。採用を行う際、私たちはどのようなものを自由と考えているか、という価値判断が行われる。
3. つまり、私たちはどのようなコードを採用するか決断を迫られる。もしくは、誰かが決断し、誰かが決断したということを知らずに決められたコードの下で生活する。あるいは知って生活する。望ましいのはもちろん私たち自身が決断することだ。
4. ではどのように決断するか。理性が導く議論の説得力によって私たちが合意を形成していくことによってだ。その方法がもっとも望ましい。
著者はこうした議論を、ネット社会の技術やアメリカ合衆国憲法の理念・条項、さまざまなエピソードを交えながら幅広い視点から展開しています。サイバー空間で起こっている明確に捉えがたい事象を、巧みに整理して説明しているので、なるほどと思わせるところが多々あります。また、冷静な議論の下で静かに流れる著者の熱い理念に共感を覚えます。お薦めできる一冊です。
日本では、どうしてこのような法律書が生まれないのだろう。どう考えるかというプロセスよりも、結論を暗記することを重視する日本の教育事情と無関係とはいえないだろう。現在の状況が、どのような岐路においてどのような選択がなされた結果なのかも分からないままにこれを丸暗記しているとしたら、不幸なことだ。岐路に立っていること自体に気付かないままに未来へと流されるとしたら、さらに不幸なことだ。多くの法学部生に、本書を熟読していただけたらと思う。
ワールド・トレード・センターが崩壊し、6,000人以上の死者、行方不明者を出すという衝撃的テロが発生し、犯人達はインターネットを使って連絡を取り合っていたという報道もある中で、インターネットのプライバシーは生き残れるだろうか? もちろん、テロ以前に発行された本書はテロを前提にはしていないが、本書が提示する思考のプロセスは、テロ後の世界に生きる我々が問題を考える上でも、重要なヒントを与えてくれる。
本文の翻訳はずいぶん柔らかく、もう少し生硬な文章の方が読みやすく感じるほどだが、おそらく、訳者は、原文のニュアンスもこれくらい柔らかいと感じ取ったのだろう。
脚注の翻訳に誤訳(判決の「少数意見」を「異議」と訳す等)、誤記、誤変換などが多く、脚注漏れまであるのが残念。