新しいアプローチは物語の見せ方にありました。今までの飛鳥は心象風景を歌った、極めて抽象的な世界観が主でした。しかし「C-46」は、ほんのり写実描写で、物語を追って聴かせます(それでもだいぶ心象風景が主体の歌詞ですが)。このスタイルに、「SAYYES」や「LOVESONG」より肩の力を抜き、さらっとうたう大人の情緒感が冴えるC&Aをみます。
しかしその分、かなり「普遍性」や「わかりやすさ」がメロディに存在しているのも特徴です。むしろ、注目なのはそのメロにあまり懲りすぎていない点です。歌詞世界の空気感を壊さないため、という配慮が伝わります。切ないメロをさらっとうたうから、余計にセピア色の恋の「儚さ」が際立つのでしょう。ふとした偶然、彼女と自分の会話が吹き込まれている昔のテープに気付くうたです。仰々しい派手さはいりませんよね。
さて、「近くを通るといつだって 見上げてしまう」とは飛鳥独特の切り口です。彼の詞からはいつも、決して単純なことばや描写説明を使わない、というこだわりを感じます。そこが他より芸術的で素敵だと思うのです。世間でよく、「あの曲の詞がいいから聞いてみて」といわれ聞いてみても、単純に触りのいいことばを使っただけ、という場合が多くあります(それも良さはありますが)。「みあげてしまう」…普通ならマンションとか直接的な言葉を駆使して状況説明したくなるところですよね。
更に「みあげる」について述べれば、この主人公の仕草は映画監督ばりの映像の見せ方です。こんな縦スクロールに感動を得る詞と出会うのは、個人的には飛鳥が初めてかもしれません。そして、恋の歌と上を向くという仕草とを結びつけるのは、非常にアーティスティックな薫りを覚えます。聴く側への絵の喚起が斬新で、上をむいてしまうと描写する感性は、飛鳥会心の一撃のような気がするのです。
一方で「C-46」は「凛」(『NotAtAll』収録)との姉妹作のような物語性を綴ってゆきます。「凛」の詞は至って日常的な空気で包まれていますが、どことなく儚さにも包まれた匂いがし物語が動く前の静けさや、何かの動きへ続く日常を表すように対照的な存在として置かれているのです。「C-46」という別れの曲の前に「凛」という、愛し合った頃の二人の残像を強調するから、別れた切なさとか、恋人と過ごした思い出の歌詞が引き立ってきます。
恋人と過ごした想い出がいっぱい詰まったマンションの近くを通ったとき、ふと見あげてしまうのでしょうか。当時の二人の笑顔を。