往年の大指揮者、ブルーノ・ワルター(Bruno Walter 1876-1962)の代表的録音に挙げられるモーツァルトが6枚組のBOXセットにまとまったもの。すでに内容については、先行レビュアーの方にきちんとまとめていただけているので、私の感想ということで記載させてもらおう。
私が学生だったころ、父のLPレコードのコレクションを通じて、様々な素晴らしい音楽に接してきた。考えてみると、当時(80年代終わり頃)、新譜のLPレコードは2,800円だったし、そうでないものも、概ね2,000円くらいしただろう。物価や収入を考えると、デジタル化、規格化の進んだ現代より、音楽メディアはずっと高価なものだったと思う。一つ一つ、なかなかこじゃれたデザインのジャケットだったように思うし、1枚1枚のレコードに対しても、今のCDより一層の思い入れがあって、レコードケースの紙質だとか、匂いとか、全部まとめて一つの「思い出の品」だったように思う。
その頃、モーツァルトの交響曲集として家にあったのが、ベーム(Karl Bohm 1894-1981)指揮ベルリンフィルのものと、このワルター指揮コロンビア交響楽団のものだった。父が毎月のお小遣いから少しずつ集めてきたものに違いない。どのLPも両面に1曲ずつ交響曲が収録されるようなスタイルで、そのデザインと質感はよく覚えている。それで、(やっと言おうとしていることに繋がるのだけれど)、ワルターの演奏というのは、その当時の「レコード」の質感や価値観に繋がるような印象に満ちているのである。1曲1曲、いかにも職人が作り上げたと言うような、玄人肌の感触だ。
ベームの指揮ぶりが真面目で生一本に思えたのに対し、ワルターの演奏にはほのかな甘みがあり、どこか聴き手に微笑みかけてくるようなチャームな要素を持っていた。そう。例えば、交響曲第38番「プラハ」の序奏が終わって展開が始まるところの、ちょっとした速度を上げるギアチャンジの瞬間、音色を通して、「さあ、行きましょうか」というワルターと楽団員の語りかけがこちらまで聴こえてくるような暖かい錯覚を覚えてしまう。これは私の思い入れがあるためかもしれないけれど、たぶん最近の録音ではこういうヒューマン・タッチな瞬間というのは、なかなか遭遇できませんよね?
レクイエムを聴いてみると、いかにも合唱指揮者に一任したようなおおらかな合唱で、細かいアヤではなく、覆うようにして悲しみが表現されているように思うし、それが時代の理(ことわり)であり刻印であるとも感じた。
最後にリマスターについてだが、私はなつかしいアナログ・レコードと一部聴き比べてみたのだけれど、CDの方がやや明るい音色になっていると思う。LPの音が頭に残っていると少し違和感があるかもしれない。しかし、相対的にはノイズの影響は少なくなり、当然のことながらS/N比はきわだって良化している。それにしても、かつてのLPたちが、6枚のCDに集められて、この価格で売られていることに一抹の儚さを感じてしまった。でも、50年を過ぎて生き続ける芸術は本当に素晴らしいですね。あらためて堪能させていただいたワルターのモーツァルトでした。