登録情報
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| 1. ハムカツサンド |
| 2. 桐の花 |
| 3. こいのぼり |
| 4. 港タクシー |
| 5. 藪の中 |
| 6. しはすのウルグアイ |
| 7. 手ぶらの女 |
| 8. 風と道 |
| 9. 夕暮れ飛行 |
| 10. Blue Black |
| 11. 旅人眠る |
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最も参考になったカスタマーレビュー
5つ星のうち 5.0
Blue Blackな世界,
レビュー対象商品: Blue Black ブルー・ブラック (CD)
2011年の暮れに、鈴木亜紀のライブをたまたま聴いた(鈴木亜紀著『お尻に火をつけて』の本稿著者によるレビューをご参照ください)。日ごろ巷で耳にするJ-POPSのつまらなさに真底ウンザリしていたから、その同じJ-POPSに分類されるらしい音楽にこんな素晴らしいものがあることを知って、正直驚いた。この日の幸福感は忘れることができない。そのとき聴いたのがこの4thアルバム『Blue Black』のなかの数曲だった。一曲目の「ハムカツサンド」はblue note scaleのドライなジャズ調(このトーンがモノクロ写真のジャケットやタイトル曲と相俟って、このCDのblue-blackなイメージを決定していると思う)。「親の生きているうちに/どうにか身を立てて/心の波に流されず/我は宇宙に愛されていると/心に固く信じ飛んでみるのだ、/飛べないことを知らない/鳥のように」。曲も歌詞も一見ドライで切れ切れな印象を与えるが、「ツバメとツバメ」や「ヘリコプター」の飛翔が「秋の空の光」のなかをいかに鋭く横切っても、「みなし児という言葉、今でもあるのか」というフレーズがどんなに唐突に立ち現れても、詩的イメージがけっしてテンデンバラバラにならないのは、親と子/巣立ちの飛翔/宇宙=空という主題の紡ぐ物語が、一見切れ切れの歌詞をしっかりと裏打ちしているからだ。そして視点は大空から、ベンチで食べる「ハムカツサンド」へと急降下する。その落差の、ああ、またなんという自由と諧謔! 二曲目の「桐の花」は優しく叙情的。「桐の花咲く5月/あなたのふるさとへ/たったひとりでやってきた/日焼け止めもぬらないで」。なんて素敵な歌だろう。「ひとりの旅にはもう/気がつけば慣れてるし」。そして次の句。「人に生まれたころから/ずっとひとりきりだし」。わずかに拗ねたような、わずかに意味の曖昧なこの句に、ぼくの胸はどうしようもなく締め付けられる。「ひとり」であることの透き通った切なさ。明るく、静かで、穏やかで、心地よい風さえ感じさせる、でもやっぱり切なさ。この切なさをぼくは、なぜかどうしても〈美しい世界を創りたもうた神の切なさ〉と呼びたくなってしまう。「遠くにかすむ山が/いくつも重なっ」た「こんなせまい国」の、「ここでいろいろあったらしい」ことを物語る「昔話」に、神話の残響を聴き取るからだろうか。「何も云わない桐の花」に、すべてを見晴るかすひそやかな神の姿を見るからか。 四曲目の「港タクシー」で鈴木亜紀は故郷焼津を(ちょっと初期の村上春樹を思わせる)完全なフィクション世界へと昇華する。「その名に惹かれてつい捕まえた」「港タクシー」に乗って「赤い灯台」や「セビラって小さな店」まで。「旅も長引けば雨の日もある/タイヤの音もシュラシュシュシュ」。言うまでもない、「金比羅船々追い手に帆かけてシュラシュシュシュ」のパロディである。水上を走る船の音を、雨に濡れたアスファルトを走るタイヤの音として聴き取った耳の良さには、ただただ驚嘆するほかない。港タクシーがその近くを走る堤防のすぐ向こうは海。そこから『金比羅船々』とのパラレリズムも生きてくるのだろう。でも、海上の船よりも陸上のタイヤの方がはるかに「シュラシュシュシュ」と聞こえてしまうのだから不思議だ。「港タクシー」という最後のリフレインで、鈴木亜紀は少しだけこぶしを利かせてみせる。村上春樹的な海辺から、潮の薫りが漂い出る。 紙面の都合で全曲紹介できないのが残念。歌詞にはすべて鈴木自身によるスペイン語訳が付されている。心得のある方は読み比べてみるのも面白い。鈴木亜紀の言語感覚がいかに優れているか、すぐお気づきになるだろう。
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