アシュケナージという音楽家の美質について、私はあちこちでいろいろ書いてきたけれど、それは私がそう思っているということもあるし、プロの批評家の中にも、なぜか今ひとつ的確な言葉でその美質を語ってくれる人が少ないということもある。「音楽を音楽たらしめているもの」が何か?と考えたときに、よく言われるのはメロディーとかリズム、ハーモニーということになるのだけれど、この音楽家はそれらを本当に作為なく調和させることができて、ここはこう響く、という普遍的なものを余計な力を加えることなくすっと出せるのである。
これは理屈で考えると、どうやっても的確に言葉で表現することはできないのだけれど、音楽を奏でる上での「教養」と「技術」、そして表現される音楽が聴き手のハートに伝わるときの媒体である「詩情」をきわめてバランスよく備えている、ということではないだろうか?・・ある一つの側面からだけみて「この演奏はこうだ」と捉えたとき、アシュケナージの演奏はきわだって特徴だっているものではないかもしれない。しかし、音楽というのはとても多様で多次元な構造を有していて、たいていの聴き手はそれを丸ごと一度に受け取るものである。それで、アシュケナージの奏でる音楽はその全体として見事なまでに自然なプロポーションを持っていて、あらゆる面で破綻がなく、確固としながら包容力を持っているのだ。
このアルバムにはベートーヴェンの代表的な7つのピアノソナタ・・・第8番「悲愴」、第14番「月光」、第15番「田園」、第17番「テンペスト」、第21番「ワルトシュタイン」、第23番「熱情」、第26番「告別」が収録されている。アシュケナージが1971年から82年にかけて録音した全集から抜粋されたものだけど、どこをとっても、ベートーヴェンの音楽が、的確な情報量と緊張感、優美さと情熱をもって響いてくる。「熱情ソナタ」の鋭い打鍵も、圧倒的な技術で奏でられる運動的なパッセージも相応しい場所に収められ、完全な機能を果たしている。「月光ソナタ」の終楽章を聴いてみよう。なんと美しくも激しい音楽だろう。これほど流麗ありながら音楽の骨子をはっきりと示し、かつ作為性がない演奏というのはちょっと他では考えられないのではないだろうか?「田園ソナタ」の暖かさは脈々とした生気が通っている。「テンペストソナタ」の静と動の対比で描かれるドラマのサイズも絶妙だ。少し早めのテンポを維持しながら音楽の輪郭は常に強い平衡感覚で保たれている。
もちろんアシュケナージに限らず音楽を言葉で表現することは困難を要するが、それにしてもなかなか的に近い表現をしてくれる人は(特に批評家には)いないと思うので、ちょっと書いてみました。