グルジェフが中央アジアを旅行して、スーフィー(イスラーム神秘主義者)やギリシア正教の修道者から学んだという「秘教」を解説した本ですが、
(1)グルジェフがその教えを学んだと自称する「修道院」は、なんらその歴史的実在の証拠が見つかっていません。
(2)グルジェフの弟子ザルツマン夫人のグループで二年間活動したLouis Pauwelsによれば、「グルジェフの試み」は「病気・病床・墓場への道を開く危険をおかしている」そうです。(”Une societe secrete;les disciples de Georges Gurdjieff”Arts,May1-7,1952)
(3)普通の人間は単なる肉体のみで、死んだらそれまで、というような主張(ウスペンスキー「奇跡を求めて」邦訳p.61参照)は、霊魂の死後の存続(あるいは仏教的には心相続)の明確な否定だし、「もし<絶対>が神なら、神の長さと重さを測り、構成要素に分解し、計算し、明確な公式の形で表すことが可能だ」(「奇跡を求めて」邦訳p.144)
というような物質主義的神観は、セム的一神教の正統はもちろん、ヒンズーやシャーマニズムのような諸伝統ともほど遠い。このような教義をスーフィーや正教徒が説くとは到底考えがたいことです。
自己観察のような教えは、スーフィズムやキリスト教のみならず、仏教、ヴェーダーンタ、ギリシアの伝統などにも見出される基本的なものですが、何もグルジェフのようなうさんくさい自称「秘教徒」にそれを教わる必要はありません。
William Chittikのイブン・アラビー英訳や、Philokaliaなどで、真のスーフィズムや正教の教えを学ぶほうが、よっぽど安全であり、かつ興味深いことは確かでしょう。