スラングがまるでこぎみよい詩のように飛び交い、任侠言葉が絶妙な節を回しながらほとばしる。頭のネジのちょっくらゆるんだガンマンも、残忍なマフィアのボスも、涙を捨てて筋を通したヤクザの跡取りも、イカれたちんけなチンピラも、仁義が服着て歩いてるテキヤも、もちろん中途半端なサラリーマンもこの作品世界ではみんな聞かせる詩うたい。耳障りな単語も、うんざりするような銃声も、胸くそ悪い血糊も、流れるような演奏を支える音符のひとつにでもなったような存在意義を与えられる。もし、美しい日本語、なんてものがあったとしたらこういうことを言うんじゃないのかな?どお?ダメかな?この作品の痛快さ、おもしろさは、この詩のような日本語の配置にあるんだよ。日本語と日本語の会話の織り成すいい感じの効果をこの作品は引き出すことに成功している。これは日本語だからこそ出来たことだし、日本語を味わえないと分からない楽しさだと思うよ。
しかし、ボク的には片渕須直氏がこんなにもすごい人だとは思わなかった、というのがこの作品を見ての一番大きな収穫かもだね。ボクがこの人をはっきり知ったのは「アリーテ姫」からだったし、もともと宮崎・高畑ラインの人だっていうイメージから、こんなにもバイオレンスなエンターテイメント性の強い作品を作れる人だとはぜんぜん思わなかった。監督・脚本・演出をほとんど一人で切り回してるからには、この作品の世界観はほぼこの人の世界観であると考えていいでしょうよ。それがこのざまなんだから、それまでのボクの牧歌的なイメージなんかは、もうものの見事に吹っ飛んじゃうってわけ。わけても重要なのはほぼすべての脚本を担当してるってことだ。前にも書いたようにこの作品のミソは、会話のテンポ、言葉選びの巧みさにある。脚本出身の人らしいけど、ここまでのものを書けるとは、まったく天は二物を与えることもあるってことだねぇ、と思った日曜日。