お酒を飲みながら深夜に見はじめたけれど、約2時間半、まったく眠くならず、朝6時まで、ずっと醒めて見ていた。何度も「凄いな」と呟いた。イニャリトゥ監督×ハビエル・バルデムという組み合わせに惹かれて見たけれど、ふたりにとっての代表作になるだろうと思った。見るべき映画だと思う。涙がでなかったのは、この映画はカタルシスをあたえることを目的としていないからだろう。この映画は確かに一面ロマンチックだけれど、見た者に、貨幣の渦巻きとしての世界にリアルに向かい合う覚悟を求める映画だ。
映画を見る前に公式サイトを見たが、そこでイニャリトゥ監督が、この映画は「悲劇」だと語っていた。「ビューティフル」は、グローバル化する世界に対する運動や抵抗ではなく、その中で生まれるリアルな悲劇だ。精神を病む妻や子供への愛、搾取されるセネガル人や中国人へのほどこし、みずからに対する矜持、死にゆく者との共振、生に向かう力。展開するエピソードは、ウスバルの行動が倫理や愛に結びつく可能性を仄めかす。しかし、それらはことごとく傷つけられ、失われてゆく。「美しい」のは、行動の可能性としては残されていない、彼の倫理と愛ではないか。
僕は、この映画に顔を出すスピリチュアリズムとロマンチシズムこそ重要な要素だと思った。どんな社会であれ、そこで生き、死ぬ人は、いつでも現実に囚われない物語を作り、継承し、非合理な癒しを求めるのだろう。死に残酷に対面させられて、みずからの責任による大量事故死にぶつかって、ふつうの人間がリアリズムだけで生きられるとは思えない。ウスバルはふつうの人の極限を生きる人と思って、僕は見ていた。ケン・ローチのようなリアリズムを僕は評価するけれども、個人的な好みからいえば、僕はこのような映画の方が好きだ。貨幣によって生きぬくしかないグローバル社会の中で、貨幣を片手に強く握り締めながら、それ以外のものをもがきながら求める姿は、世知辛いこの社会に埋没せず、強度ある光を放っている。