限りなく純粋な少年の心、純粋であるが故の狂気。「BANG!」の魅力はこの言葉だけでは言い尽くすことはできない。
大人になってもどれだけの人が少年の心を持ち続けて、どれだけの人が純粋であり続けているだろう?少年の心を持ち続けることは決してネガティブなことではない。堂々と肯定できる。それならなぜ人は少年の心や純粋さを失ったりするのだろうか?理想を追い続けることや純粋であり続けることに関して人は自由である。しかしどこまでも追い詰める社会という名の暴力に人は飲み込まれてしまう。大人になるために時に純粋さは邪魔になり社会に適応するため、誰かに好かれたいがために人は純粋さを失ってしまうことがあるのかもしれない。だが自分自身を愛し続けようとする人はいつまでも純粋でいられるのだろう。
きっとほとんどの人が浅井健一の詞を理解できないだろうが感情を叩きつけたような彼の詩は決して作為的ではない。それゆえ彼の詩から聴こえるのは感情である。しかしその言葉を感情として感じる人は少ないのかもしれない。
僕は高校生の頃このアルバムを狂ったように聴きまくった。その頃の僕にとっては依存性の高いドラックのようなアルバムで毎日聴いていたし、聴かずにはいられなかった。詞からも音からも感情が聴こえたのだ。僕にとっては得体の知れない気持ちよさだった。
以前、ふと新宿の歌舞伎町を歩いていたときにどこかの店の入り口でこのアルバムのタイトル曲である「BANG!」が大音量で流れていた時、その周りの欲望や喧騒に満ち満ちたような場所にあってそれに対峙するように狂気や純粋さを感じさせるこの曲がその中で孤独に鳴り響いているのを聴いて言い知れない感情がこみ上げてきたのを今でも憶えている。
ブランキージェットシティに出会う前までの僕は言葉というものをそれほど意識したことがなかったのだが、このアルバムを聴いて初めて「歌」というものは言葉が表現の中心にある事に気付いたのである。
このアルバムから聴こえるものは音というよりもむしろ感情である。