私がまだ幼い頃に連載終了した作品ですが、
最近年上の友達と漫画談義になって「読んだことがない」というと
貸してもらえたので初めて読みました。
あの時代に、国際交流や幼児の性的虐待や情報攻撃、囚人たちの生活を
テーマにこれだけ面白い作品を描いていたなんて
作者はすごく先見の明がある方なんだと思います。
アメリカ連続テレビドラマのプリズンブレイクや、漫画のNANAのような要素が満載です。
ただ、漫画のNANAを読んだ時も感じたのですが、
友情が域を超えて「共依存」にまでなってしまうと
息苦しさを覚えると言うか、違和感を感じます。
読者のアッシュに守り守られたいとい気持ちはエイジの行動で
満たされるのですが、さすがにエイジは男なので
ゲイでもないのにここまでべったりだと・・。
人間関係において、伴侶、両親、兄弟、同性の友達、師匠etc.が与えてくれるものは
共通するものもあるが他では補えない質のものもあると私は思うんです。
そして、性別や年齢等で役割や定義を決めきってしまうのもよくないのですが、
どうしても特定の人と本来とは違う質のものを補い合うのは「?」なんです。
冬彦さんはお母さんの親密さを間違えていて奥さんとの関係を築く基礎ができないまま成長したしね。
登場人物でアッシュの兄の旧友・マックス・ロボという人物が登場しますが、
彼の考えや行動パターンが一番共感できました。
アッシュに対して、いきなり親しみや愛情を持つのでなく、
むしろ態度次第では危険や「かわいくないなー」というふうにも感じる。
結局、アッシュを大事に思う気持ちや信頼、期待も芽生えるが、
ほかにも奥さんや子供、仕事仲間など別の次元や種類で愛情を持っている人たちもいる。
でもやっぱりアッシュに対しても広義の意味での愛情はある。
(アッシュが自分の過去の写真を「公開すればいい」というシーンで彼に向けた言葉とか、
すごく優しくて、ロボの存在をありがたく感じました。
黙って抱きしめたり一生懸命否定するエイジとはまた違う部分でアッシュを支えていると
思いました)。
作者は、ロボやブランかのようなキャラも描けるのに
わざわざエイジとアッシュのラブラブシーン(?)をふんだんに盛り込んでいるのは、
思春期の読者へのサービスなんでしょうか、
それともすべてを超越したソウルメイト?って表現なんでしょうか・・。