この曲集は、'1、楽器指定なし、'2、未完、'3、一つの主題を対位法のあらゆる手法で展開"、といった特殊な楽曲です。
楽器について言えば、ピアノ独奏、管弦楽、オルガン独奏などのほか、サキソフォーン四重奏、ビオラダガンバ四重奏(きちんと調べていません、誤っていたら申しわけありません)など、ありとあらゆる楽器が使われていて、こういうものを聴き比べることは果たして意味があるのかと思ってしまいます。ですから弦楽四重奏が最善、ではなく、私の感性に一番あっている楽器編成がこれであったと言うことで、他のリスナーにはまず一番自分の気持ちに響く楽器を選ぶことからはじまります。
次に未完であると言うこと。この曲集以外にもたとえばシューベルトの未完成や、モーツァルトのレクイエムのように未完の作品はあるのですが、それでも楽章は終わっていたり、他人の補筆で楽曲としての形は成り立っています。ところが、この楽曲の終わり方はとても印象的で、最後に音名BACHが表れたところで、あたかも作曲者が宇宙に消えてしまったかのように突然終わります。曲を聴いている私たちはどうすればいいのでしょうか。このCDではバッハのコラールを加えて、あまりにも中途半端な終わり方を慰めるような作り方になっています。本当にこれでいいのでしょうか。
最後に楽曲の構成は、まるで対位法の辞書を見ているかのようです。ある作曲家によれば「フーガというのはあまりに規則が多くて、こんな規則にしたがって本当に曲ができるのかどうか自信がなくなってしまう」のだそうです。バッハはここに自分のもてる対位法の技術全てを残し、そして世を去りました。余り好きな言葉ではないのですが、これはバッハが私たちに残した遺言としか言い様のない物です。他人の遺言を読みたいというヒトはそれほど多くはないでしょう。われわれ日本人はむしろ遺言など余り考えたくない、と言うのが本当ではないでしょうか。ですが私たちはこれに真正面から向き合っていかないと最後まで聴き通せません。
長くなりました。この曲集は、バッハとこれを聴く全てのヒトとの対話(のはじまり)といえるかもしれません。それぞれのリスナーにもっともふさわしい「フーガの技法」がみつかることを祈念します。