ネットなどでは、最終話での、主人公である
音無の言動に共感できないという感想が多いようです。
そこで、最終話を、自分なりに解釈してみます。
かなでが音無の愛を受け入れると、二人の間に愛が芽生える。
音無は愛を知ることになる。また、かなでも愛を知ることになる。
しかし、かなでは愛を知ったために消えてしまう。
逆に、音無は、消えてしまったかなでへの未練により、
(Angel Playerのプログラマーのように)成仏できなくなり、
この世界で、かなでを永遠に待ち続けることになってしまう。
この死後の世界では、皆、自分の好きなことを好きなように行ない、満足して消えていく。
言ってみれば、、皆、自分勝手なわけです。
しかし、かなでだけは音無を愛するが故に、自分勝手な行動を取ることはできなかった。
かなでは、音無を愛しているが故に、音無の愛に応えることをしなかった。
本当は、音無に「私も愛している」と伝えたかったはず。
(かなでは、音無に「ありがとう」とは言うが、「私も愛している」とは言はない)
しかし、音無を成仏させるために、自己犠牲ともいえる崇高な行為を行った。
このストーリー、かなでが主人公と考えれば、
愛する者のための自己犠牲的行為として、一貫している。
(音無のブレた行為も、脇役の行為として、許容できる)
なお、Angel Beatsというタイトルですが
しかし、そもそも、Angel 天使は存在しなかったはず。
ここで、beat には、羽ばたきという意味がある点に注意。
ラストで、天使のような崇高な行為をしたがゆえに、
天使として羽ばたき、昇天したと考えれば、
タイトル Angel Beatsを天使の羽ばたき とうまく説明できる。
(最終話で、かなでが消える時だけ、
魂のような光が天に昇っていく場面が入るのはこれが理由ではないか)
全体的に見ると消化不良気味かもしれませんが、
各話だけ見れば、割と楽しめました。そこで、星3つ。