ジョアンの歌声と爪弾くギターを、そっと包み込むような伴奏は、確かに北米に渡ることでアメリカナイズされたボサノヴァのそれとは異なるという事実は、例えばアメリカでも多くカバーされた「ワンノート・サンバ」や「コルコヴァード」などからも充分に肯かされる。ジョアンの手になるプロトタイプのボサは、単純明快で軽やかであり、土に根付いた民族の歌だ。
それを基としたセルジオ・メンデスやワルター・ワンダレイらによるカバー曲がジョアンの元歌と一線を画すのは、明らかに良し悪しを抜きにした都会感覚の有無である。シルヴィア・テレスの歌声はジョアンのそれと違うカテゴリーに属するものだ。やはり、ボサノヴァ一つをとっても、ジョアンは唯一にして無二である。
本来のアルバム「愛と微笑みと花」に含まれたジョアン自身の歌唱である12曲目までと、それ以後のボーナス・トラックを聴いた上での比較は、こうして答えが明確に判っていても面白い。寡作なジョアンを、同時代のミュージシャンたちがどう受けとめ、自らの糧としたのか。それを見極めるためのテキストと思えば、比較曲は決してアルバムの値を吊り上げるための飾りとは受けとめられまい。
本来のアルバムに付属した夾雑物によって、むしろ付加価値が増している面白さは、「想いあふれて」を凌駕しているとさえ言えるだろう。ジョアン・ファンには無視できない贈り物だ。