1曲目のキラーチューンについて意見が分かれるところだが、ソロという誰にも頼ることなく、己の等身大で勝負してゆく道に入った彼にとっては、表現したい第一歩だったのだろう。
ヴァーヴでは演れなかった要素だ。自然に彼の内側から流れてきたような、あの旋律は、随分肩の力がぬけて、リスナーに新しい風を吹かせてくれる。
ヴァーヴというバンドがそれこそナイフのエッジ歩くような危うさで、恍惚な魅力を秘めたバンドだっただけに、その黒光りする部分をつい求めてしまいがちになるのだが、
しかしROCKバンドという形態、ROCKという性質それ自体が、衝動性をセンチメンタルな旋律にのせて歌い上げるものなら、仮面を被って風を切って進まねばならない性格もある。
1曲目はそのヴァーヴという仮面も衣装もとっぱらった、いや、ヴァーヴのROCKを卒業した生身の彼自身を表せる喜びのようなものを、感じるのだ。それはアーチスト個人の進化の視点からみれば何も驚くことではない。
1曲目を否定する商業的という言葉は、その中にある内省的な意図や要素まで有無をいわさず殺してしまう。ロックとはマニアックなアイテムになってはいけない。
チャートで市民権、ポピュラリティをか獲得してムーヴメントを起こしてゆかねば、それこそROCKは落ち目の方向を辿る。21世紀のROCKはいつまでも90年代末の狂気なROCKのままではいけないのだと思う。
といっても全体的にはまだソロで勝負する上での、力こぶのようなものも感じる。それはヴァーヴからの脱皮を図っている途上のような空気感もある。だが、曲自体はどれもさすが天才といいたくなるような、心をえぐって泣かせるセンスの曲ばかり。アルバム全体の流れで聴くとなおここちいい。