スピルバーグ監督作品の中でも、1位2位を競うほど程大好きな作品です。日本では、それなりにヒットしたものの、本国アメリカでは、大扱(コ)けした作品として語られる事が多いようです。
当時の書評でも、あまり好意的な記事は少なかった様に思います。“ストーリーが出来過ぎている”とか、“ピノキオの焼き直し”だとか、“普通なら、大好きな母親の元へ急いで帰るハズなのに、何で人間になろうとして旅に出ちゃうの?”等々。“描きたい事は分かるが、ストーリー展開が不自然で突拍子もないものだと、内容にのめり込めない…”と言ったような意見も有ったかと思います。
韓国の俳優、ペ・ヨンジュンを一躍日本での大スターに押し上げた、ドラマ『冬のソナタ』のストーリーは、出来過ぎのうえ、大変に不自然です。主人公は何度も都合の良いように交通事故に会い、記憶を無くします。それにも拘らず、あの作品が駄作であるという日本人は少ないでしょう。当時、社会現象まで引き起こしたあの作品には、出来過ぎ・不自然さを上回って余りある程の、普遍的な愛情(時には男女のそれを越える)が画き切れています。だからこそ、名作と呼ばれます。
この作品にも、同じ事が当てはまると思います。“出来過ぎ・不自然さ”を越えて尚余りある、普遍的な親子の愛情がそこいら中から溢れている…“と。
僕なりに分析するに、アメリカは父系社会であるのに対し、日本は母系社会です。この作品の根底にあるのは、母親に対する愛情の希求です。その愛情が、充分に満たされて、健全な形でたっぷりと与えられ続ければ、人は自然と健全で、愛情を持った大人へと成長出来ます。成熟して行くことが出来ます。
けれど、その愛情が、偏ったものであったり、途中で“ブツリッ”と途切れてしまったりした時に、子から母親への愛情の希求は、一方的で永久に満たされることの無いものに成ります。子供は失った愛情を求めて、言い換えれば、注がれ得るハズだった愛情の名残りに対して、固執・執着することになります。自問自答して、相手を責めたり、自分を責めたりもします。
この映画は、そういった過程を描いた作品です。失われた母親からの愛情を求めて、彷徨する子供の物語です。喪失の経験を持たない大人には詰まらない・不自然な映画に見えるかも知れません。けれども、そうでない人間にとっては、とても深く心に響くものがあると思います。
ラストシーンについては、様々な解釈が有るかと思います。僕自身、初めて鑑賞した時には、相当に面喰らいましたが、それと同時に、号泣もしました。観る度に、何度も号泣するシーンです。そこに在るのは、正しく癒しです。それも、壮大な癒し。普遍的な癒し。かの名作『2001年宇宙の旅』にも通じる、壮大で、宇宙的な哲学観を垣間見る事が出来ます。原作者キューブリックの面目躍如。彼の描きたかった本質の一つが、正しく“これだ”と思いました。
“偉大なキューブリック監督も、一人のマザコンだったんだな”と感じます。その点に関しては…僕と同じです。