日常が戦場と化してしまう恐怖。それが良く出ていた。
普通戦争映画というと途上国が舞台の者が多いが、ボスニア戦争やこのグルジアのものになると
都市のどまんなかにミサイルや爆弾が落ち、アパートにヘリコプターが墜落し、由緒ある建物も
粉微塵になってしまう。ヘリコプターや爆撃機が上空を飛びかい、不気味な爆音が周囲を制する。
レニー・ハーリンの映画は「マインドハンター」以来見ていなかったが、映像の迫力は大したもの
である。車は回転しながら爆発し、炎上。爆弾が次々に投下される場面も大迫力だ。
YOU TUBEで「プロパガンダ」だという書き込みが凄まじかったが、映画というのはプロパガンダである。
そもそも当のロシアがプロパガンダ映画発祥の地である。第一、この映画を見てもロシアそのものに不快な
印象は覚えない。不愉快に思うとしたら戦争の事を知らない人たちであろう。ロシア軍のリーダーは息子を
アフガンでなぶり殺しにされ、戦争の悲劇を骨身にしみている人間である。彼はジャーナリストに
お前たちは悲惨な映像を只で手に入れていると言い放つ。彼がチェスをしながら記者に言う事は
恐ろしく当を得ている。彼らは野獣でも何でもなく、力のある者こそが正義を唱える資格があるという
現実を見せ付けているにすぎない。
議論があるとすればコサックの事だが、彼らは小学校から軍事訓練がある民族で、少年兵の方が
理性があるというのはおかしい事ではない。まだ戦争なんて人道的に出来るかよというには早い
という解釈も出来る。
そして小国が大国に逆らうのがどれだけ難しいかも映画は白日のもとにさらけ出す。グルジアはイラクや
アフガンでもアメリカに従って従軍したが、肝心要の時にまったく役に立たない。結果的には欧州の助けで
休戦に持ち込むが、大国追従で上手く行くと思ったら、そうは問屋がおろさない事も特に日本人は知って
おくべきだろう。フィンランド人のレニー・ハーリンが大国に逆らうグルジアに自国の悲哀を見ているのは明らかだ。
小国にハッピーエンドはない。負けないように相手を止めることしか出来ないのである。
プロパガンダ云々の部分が実は劇中よりも、ラストのドキュメンタリー風のエンディングにあるのが面白い。
実は物語の方が客観性を持つ事がしばしばあると言う事は考えて観る必要がある。