1969年、長谷川きよしのデビュー作「別れのサンバ」を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。まだ日本製フォークが四畳半的世界や、政治的メッセージを伝えているだけの時代に、他の誰とも違う世界を、美しい声とギターで表現する歌手が現れた。シャンソン、ボサノバ、ジャズの香り漂う都会的で仄暗い「大人の音楽」を、19歳の盲目の青年が歌い演奏していることが信じられなかった。「銀巴里」の最前列で、豊かな声とギター一本による圧倒的な演奏を目の当たりにしてさらに驚嘆した。当時の歌にはほとんど使われなかった複雑なコードを多用した超弩級のガットギターも実に新鮮だった。
40年間常にメジャーな商業音楽と対極にあった彼の歌は、その美声と好む詩ゆえに通俗的リアリティとは無縁で、夢想的であり、無国籍的である。日本にこのような歌手はいないし、限られたファンのみがその世界を愛してきた。デビュー作「ひとりぼっちの詩」と、続く「透明なひとときを」という2枚のアルバムには、みずみずしい感受性と孤高の音楽性溢れる名唱が何曲も収められている。93年の「アコンテッシ」も素晴らしい。特に「バイレロ」とアルバム表題曲は、他の誰にも表現できない長谷川きよしワン・アンド・オンリーの世界である。ギター抜きで歌に集中した時の彼の歌唱はさらに素晴らしい。
近年の椎名林檎との邂逅は私的には奇跡である。私は彼女の大ファンでもあるが、長谷川きよしとの接点など誰が予想できるだろうか。「化粧直し」を「大人」で初めて聴いた時、まるで長谷川きよしだなとは思ったが、二人のいきさつを知りさらに驚いた。最近彼のライブに再び足を運んでいるが、本アルバムで明らかなようにその美声もギターも衰えることなく、仙道さおりという良いパートナーと出会い、とても還暦とは思えない素晴らしい演奏を続けている。日本が誇るこの稀有のアーティストの演奏を一人でも多くの人に聴いてもらいたい。